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小生は、1958年(昭和33年)にスズキに入社し、翌年の第3回浅間火山レース、そして1960年のTTレース初参加から1967年を最後に世界選手権レースを撤退するまで、ずっとレース用エンジンの開発を主業務に、レース部門に関与させていただきました。1994年にスズキを退職し、1996年には第二の人生にも別れを告げ、「晴動雨読」の生活に入りましたが、暇にまかせ、昔の日記帳・雑誌の切り抜き・アルバムなどから、当時のレース資料を、小生なりに纏めてみようと思い立ったわけです。 小生は、技術屋の端くれで、今まで会社での技術報告書以外、文章など書いたことはなく、さぞかし読みづらいところが多々あることと思いますが、お許しいただきたいと思います。 当時、レースに関わりを持たれた皆さんにも、是非ご覧いただきたいと思うのですが、考えてみれば、もうお年を召した方々が多く、お若い方でも50歳代半ばになられている筈で、インターネットなどを楽しまれている方は、数少ないのではないかと思います。このページをご覧になり、身近にこのような方がいらっしゃいましたら、是非教えてあげて下さい。 当時から、ほぼ40年の歳月が過ぎ、スズキでも、当時のレース関係者の多くが故人になられました。ライダーでは、内藤隆寿(1961)、鈴木誠一(1974)、松本聡男(1970年代)、Ernst Degner(1980年代初め?)、市野三千雄(1983)、総監督を務められた岡野武治(1997)、設計の一員だった鈴木美清(1998)。また、当時のレースで亡くなられた、ホンダ関係の秋山邦彦、鈴木義一、Brown、Phillis、McIntyre、そして後にHailwood。ヤマハ関係のIvy。カワサキ関係の藤井敏雄と懐かしい顔が浮かびます(敬称略)。ご冥福を祈ります。 余談になりますが、当時レースを担当したのは “研究三課” でした。レース撤退後も、当時のメンバーで “研三会” と名付けた親睦会をつくり、現在でも毎年会合を開き、親睦を深めています。スズキの定年退職者は年ごとに増え、現役の人は3分の1弱になってしまいました。ホンダさん、ヤマハさんにも、このような会合があるのでしたら、合同で開催し、旧交を温めれれば……最高だろうなと考えます。 なお、スズキの元ワークスライダーの森下勲、越野晴雄(たぶん下関市に居住)の消息が不明です。もしこのページをご覧になったら、是非ご連絡下さい。また、彼らの消息をご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡下さい。 このページをご覧になっての、ご意見、ご感想、間違いのご指摘などがございましたら、ご遠慮なくご連絡下さい。
1999年12月 中野広之さんは、1955年に静岡大学工学部機械工学科をご卒業と同時に丸正自動車製造株式会社に就職され、二輪車用エンジンの設計をご担当の後、1958年に鈴木自動車工業(現在のスズキ株式会社)に入社されました。そして、退職されるまでの間、同社の多くの二輪車・四輪車の開発・設計を手がけてこられました。 ここにご紹介するのは、第3回浅間火山レース用マシンを皮切りに、1960〜67年の歴代世界選手権レース用ワークスマシンを設計されていた当時の資料やメモを基に、中野さんご自身が整理・執筆されたレース結果とレポートです。この期間はまた、1961年1月からエンジン設計係長、1964年1月から課長代理兼エンジン設計係長、1966年1月から課長として、中野さんが最も深くレースと関られていた時期でもあります。 その後、中野さんは、四輪車用4サイクルエンジンの開発設計と排気ガス研究、東京研究所での小型ロータリーエンジンの開発を経て、1974年からは二輪設計部でスズキ初の二輪車用大型4サイクルエンジンGSシリーズの開発責任者を担当され、1978年からは主管U、1979年からは次長、1981年からは主管Tとして活躍されました。 そして1985年からは中国プロジェクトの技術担当部長として、また1987年からは海外技術部の専門職Tとして、中国向け二・四輪車の技術業務をご担当になり、1994年8月にスズキを退職されました。1995年からは株式会社フジテックにて発展途上国向けに二輪車用4サイクルエンジンを設計されていましたが、1996年末に同社を退職され、現在は静岡県のご自宅で、インターネットを覗いたり、過去のレース結果を整理するなど、悠々自適の生活を楽しまれています。 今回、Europarkの一部に中野さんのページ “Good Old Days” を設けることになったのは、1999年のお盆の頃、中野さんからいただいた1通のメールがきっかけでした。中野さんのメールには、Europark内のGPのデータに50cc、80cc、350ccクラスの歴代メーカーチャンピオンの項目を追加してほしいというご要望とともに、ご自身で整理されたデータの一部が添付されていました。 さらにその後、データだけではなく、レーシングマシンの開発・設計をされていたエンジニアの目でご覧になった浅間火山レースや1960年代の世界選手権ロードレースに関するレポートをお送りいただきました。それらを拝見し、これはぜひレースやレーシングマシンに興味のある多くの人に読んでいただきたいと思い、当ページの制作に着手した次第です。 今後は、追加が自由なウェブの特性を生かして、徐々に内容を増やしていく予定です。浅間時代やマン島TT初挑戦の頃のマシンの諸元など、中野さんならではの貴重な資料もご提供いただく予定です。ご期待ください。 “Good Old Days”の公開に伴い、“芳名帳と伝言板”を設置いたしましたので、みなさまからのご意見、ご感想、ご質問、ご要望などを、ぜひ、お書き込みください。
1999年12月
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