カーブを抜けると、いきなり視界が開けた。
忽然と姿を現わした瀟洒なホテル

クレルモンフェランの先でオートルートを下りた。
どこかに行くアテはまったくない。
今日、明日の2日間で、パリからバルセロナまでの
1000kmちょっとの区間を移動すればいいから
時間にはずいぶん余裕がある。
新しく完成したオートルートに車の流れを奪われたのか
並行して走る一般道[N9]を取り巻く景色は
午後の光の中に惰眠をむさぼっているように見えた。

イゾワール(Issoire)やサン・フルール(St. Flour)といった
フランスらしい名前の小さな街を通過すると
道は徐々に曲がりくねり
標高は低いが、ふところの厚い高原に登りはじめた。

夏のヨーロッパでは、クルマは断然サンルーフ付きに限る。
今日はもちろん全開だ。
ついでに運転席側の窓も全開にし
ドアに肘をかけてフレンチ気取り。
ときおり、うぐいすの鳴き声が聞こえてくる。

背後には湖水が見える。(JPEG 54.3KB)
どれほど登っただろうか…
急に道が下りだし、視界が開けた。
緩い右カーブを曲がった途端
短い直線の前方に瀟洒なホテルが現われた。
ホテルの向こうには、湖らしき水面が見える。
ボクは思わずブレーキを踏んでいた。
速度を落とし、観察しながらホテルの前を通過した。

まだ午後5時だったから、泊まるわけにはいかない。
それに、ホリデー中の宿としては値が高そうだ。
レストランの雰囲気も、ボクにはちょっとハイソすぎる。
だが、このロケーションに、あの外観!
路肩にクルマを停めたボクは
地図に印を付け、ホテルの名前をメモした。
ついでに写真を撮った。

“ちょっと待てよ…、泊まらなくても
お茶くらい飲んでいけばいいんじゃないか?”
これは名案だった。お茶を飲みに入れば
中の様子がわかるし、宿代だって聞ける。
ボクはクルマをバックさせ、正面に乗り付けた。

宿泊施設は星2つのツーリストクラスだが…。
フランス人は英語がじょうず?

ホテルの建物は、真ん中がレセプションで
右側がレストラン、左側がカフェだった。
カフェにはテラスがあり、森に囲まれた湖が見える。
地図で調べると、大西洋に注ぐガロンヌ川の支流・Lot川の水源だ。

土曜の午後の小学校のようにがらんとしたカフェに入ったボクは
そこにいた愛想のいい兄ちゃんに
「カフェノワ グランデ スィルヴープレ」と注文した。
「ウィ ムッシュー。スピーク イングリッシュ?」
あはは…。それは都合がいい。(^_^)
英語が通じるとわかって
ボクの気持ちは泊まるほうに大きく傾いた。

コーヒーを飲みながら部屋代を聞いたら200フランだった。
即、部屋を見せてもらうことにした。
田舎のホテルにありがちなアンティークムード漂う部屋。
ベッドも、いかにもフランスの安宿的な
仰向けに寝ると猫背になりそうなものだった。
電話は…? と、見ると、ちゃんとしたのが備わっている。
ちょっと早いがチェックインした。

屋根裏部屋からの眺望 (JPEG 24.6KB)
窓辺の椅子に座ると
遠くの森の下に湖面が見える。
立ち上がると
L字形の湖が屈曲する位置にいることがわかる。
向こうからこっちに向かって延びてきた湖は
眼下で大きく左にまわり込んでいる。
身を乗り出すと
崖とホテルの建物のわずかな隙間に
クレイのテニスコートと小さなプールが見えた。

外はまだ、昼間のように明るい。
プールのまわりに植えられた
マリーゴールドの黄色とオレンジが
午後の斜光線に浮かび上がっていた。

アテもなく朝から晩までクルマで突っ走るだけじゃなく
たまにはこういうリゾート地で
ゆっくりするのもいいものだ。
どこかに行き、何かをすることよりも
ヨーロッパに居ることのほうが
ボクにとってははるかに重要だし、それだけで満足できるのだ。

味も、眺めも、サービスもマルのレストラン
午後8時半、レストランに入った。
そんなに腹は減っていなかったので軽い食事にしたかった。
メニューを見ると、80フランで
メインディッシュが1皿のコースがあった。
迷わずそれにした。 飲み物は、例によって地元のワインだ。
いつも、これを頼むのに苦労する。

ドイツでは「ヴァイン・アウス・ディーザーゲーゲント・ビッテ」
…で通しているが、フランスでは何と言うのか忘れてしまった。
試しに「ローカルワイン プリーズ」と言うと
「White one or red one?」と聞き返された。
ウェイトレスのお姉さんはボクより英語が達者だった。

オーリリャック風ディナー
  
ここCantal県中心地は、湖の向こうのAurillac だ。
メニューにはナントカのオーリリャック風というのが多い。
ボクが頼んだ80フランのコースのメニューは
アントレー2種、メイン2種の中から好きなほうを選べる。
アントレーはオーリリャック風サラダ
メインはオーリリャック風ステーキにした。

壁には各種旅行団体の推薦プレートが…。
しばらくしてやってきたオーリリャック風サラダは
大きな皿からはみだしそうに、青々としたレタスが盛られ
その上に、小さなサイコロ形に切ったブルーチーズと
まるごとのクルミの実をどっさり乗せたもの。
ペパーミントグリーンのドレッシングはピリッと辛く
心地よく食欲を刺激する。

続いてメインディッシュがきた。
ヨーロッパのレストランとしては異例の早さ。
200gくらいのステーキに、これといった特徴はない。
付け合わせは、焼き茄子と焼きトマトとフライドポテトだった。
細かく刻んだ焼き茄子は、まるで何かの佃煮のように見えた。
焼き茄子以外、どれもとても美味しかった。

次はデザート、じゃなくて
フランスでは何と言うのか忘れてしまったが、最後のコースだ。
メニューには『チーズまたはデザート』と書いてあった。
となりの席の中年夫婦は、そのチーズをパンに塗って食べていた。
ボクは、もちろんデザートだっ!
いろいろあるが、大好物のクリームキャラメルを頼んだ。

出てきたのは、直径12cm、高さ6cmくらいのカスタードプリン。
タマゴがしっかり入っているのだろう
底に、目玉焼きを作ったときにできるような
卵白が固まった薄い膜ができていた。
味は…、シャルルドゴールのなんかと比べちゃ失礼だ。
最後にコーヒーを飲んで、この日のディナーは終わった。
フランス人のお姉さんに「メルスィ〜 ムッシュ〜」と言われるのは
何度聞いても気分がいいものだ。(^_^)

朝食は南東の角部屋で。(JPEG 44.0KB)
フランスふうのホテルの朝食

6月16日。朝7時に目が覚めた。
窓から外を見ると、雲ひとつない晴天。
湖は、昨日の夕方とは逆方向の光を受けて表情を変えている。
今日はここからモンペリエに出て
地中海に沿ってバルセロナまで行く。
寄り道なしで580kmの行程だ。

フランスのホテルの朝食は、はっきり言って物足りない。
イビスやノヴォテルなどのチェーンでは
他の国と差があってはマズいので
一応、何でもアリのバイキングになっているが
そうじゃない安ホテルの朝食はパンとコーヒーだけのところが多い。
ここもそうだった。

カゴに入ったフランスパンを持ってきたギャルソンが
「ティー or カフィー?」と
まるでSQの機内みたいな口調で聞き
陶器のポットに入ったコーヒーとミルクを持ってきた。
テーブルにあったカップは、きのうの『グランデ』と同じものだった。

このときのアシはフォード・モンデオ。
バターの他、パンにつけるものは
アプリコットジャムしかなかった。
ドイツと比べるとかなり見劣りするが、しかたない。
ミルクをたっぷり入れたコーヒーと
焼きたてのパンは、さすがに美味しかった。

部屋に戻って荷物をまとめた後
レセプションで精算すると
アクセスのためのリヨンやトゥールーズはいいとして
スペインに何度も国際電話をかけたのに
電話料金のトータルは37フランにしかなっていなかった。

しばらくホテルのまわりの景色を撮り
兄ちゃんと姉ちゃんに出来損ないのフランス語であいさつをして
まずは湖に沿って走りだした。

Chaudes-Aiguesへの道

ホテルから延々と下った道が湖面に達するあたりに
観光バスが何台も停まっていた。
脇を見ると、湖岸の林の中に、風格のあるホテルが見えた。
ホテルの背後には、かなり大きな遊覧船が停泊している。

フランス中央高地の田舎道 (JPEG 36.7KB)
この一帯は、ボクが考えていた以上に
人気のある観光地だったらしい。
湖にかかる橋を二つ渡って対岸に出たところで
急に写真を撮りたくなった。
後でわかったことだが
ここに架かる国鉄の鉄橋の設計は
エッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルの手によるらしい。

道端にクルマを停め、湖畔の道を歩いていると
同じようにカメラをぶら下げた観光客が何人もいた。
いい歳したオヤジが多い。
そのうちのひとりが林の中でキノコを見つけたとかで
子供のようにはしゃいでいる。
見せてもらうと、ウズラのタマゴ大の、真っ白なキノコだった。

写真を撮り終え、先に進もうとして道に不安を感じた。
このまま進んでいいのかどうか…?
さっきの橋の上まで引き返し
工事をしていたオヤジに聞いてみた。
いきなりミシュランの地図帳を見せられたオヤジは
困ったような顔をした。

シトロエンDS(左)も健在。(JPEG 61.7KB)
見開きの端から端までで400kmもある地図じゃ
困るのも当然だ。
で、聞きかたを変えた。
道の前方を指差して、同じ指で地図上の地名を指差してみた。
これはオヤジにも通じた。指差した地名は『Chaudes-Aigues』
オヤジの発音だと『ショッドアイゲス』である。
ここで早くも、針路は予定のルートを外れようとしていた。

ショッドアイゲスにむかう道は素晴らしかった。
牧草地の中をゆるやかに起伏しながら
延々と続く、老いたプラタナスの並木道。
ときおり抜ける小さな村には、どこにも中心に教会があり
その近くにカフェや八百屋さん、ガソリンスタンドなどがある。

このあたりのゼラニウムは、ほとんどが濃い朱色。
壁にバラを這わした家も多い。
石垣に生える名も知らぬ花や
ガソリンスタンド脇の空き地に放置されている
ポンプの写真を撮ったりしながら
ボクは、大好きなフランスの田舎道を
ゆっくりゆっくりドライブした。

ショッドアイゲスの町並み (JPEG 55.5KB)
しばらく走ると、湖畔に出た。
水位が低いからか、道と水面の間には荒れ地が広がっている。
なおも走ると、前方にダムが現れた。
昨夜のホテルから見えたのは
このダムによってできた人造湖の一部だったらしい。

が、ショッド・アイゲスへ行くには、ダムに至る手前で分岐し
またしばらく山の中を走らねばならなかった。
何度か、道に迷ったんじゃないかと不安にかられながらも
走っていれば、やがてどこかの街に出るはずだと考えて先に進むと
突然、農家の軒先みたいなところから幹線道路に出た。
サン・フルールからショッドアイゲスへ直行する[D921]だった。

[D921]に入った途端、ショッドアイゲスまで0.5kmの標識を発見。
それに従って進むと、左手に町並みが見えた。
ショッドアイゲスであることは間違いなかった。
教会を中心に、白い壁とグレーの屋根の家々が集まった
均整のとれた美しい町並みだ。

なおも坂を下って谷沿いに降り
小川を渡ったところが街の入り口だった。

坂道に面した☆☆ホテル (JPEG 50.9KB)
Chaudes-Aiguesにて

オヤジに道を尋ねてから
1時間ほどかかってショッドアイゲスに着いた。
フランス語で“熱い”は“CHAUD”である。
山の中で“CHAUD”とくれば温泉に違いない。
思った通り、ショッドアイゲスは
小さな湯治場だった。

街の大きさの割にはホテルやレストランが多いのは
長期滞在の湯治客のためだろう。
それらを除けば、街道に面して拓けた
こじんまりした静かな街である。

どことなく埃っぽく、ひとけが少ない
南フランスの田舎町の
夏の午後らしいけだるいけしきを眺めながら走っていると
小川に沿った細長い中心街の
真ん中あたりにパティオがあった。
道沿いの1軒の家がトンネルになっていて
それがパティオの入り口なのだ。

パティオにあった郵便局 (JPEG 47.0KB)
クルマに乗ったままトンネルをくぐると
そこには30メートル四方くらいの空間が広がっていた。
真ん中が駐車場になっていたのでそこにクルマを停めた。
パティオを見下ろすように
三色旗をはためかせた立派な郵便局が建っていた。
下のほうには何軒かのカフェバーがあった。
そのひとつの表に並んだ椅子に座ってコーヒーを注文した。
まったく英語は通じなかったが、意志は通じた。

ゆっくりとコーヒーを飲んでから
向かい側にあるみやげもの屋で絵葉書を買った。
目の前の郵便局から、誰かに出そうと思ったのだ。
でも、PCを開いて住所を調べるのが面倒で、やめにした。

時計を見ると、午後3時をまわっている。
ヤバい。バルセロナまで、まだ400km以上ある。
クルマに乗ったボクは、引き続き[D921]を
それまでのペースがウソのように飛ばしだした。
が、どんなに急いでいても、見た瞬間にブレーキを踏み
クルマを道端に停めさせるけしきというのに
1日に一度程度は出くわすものだ。

京都の鴨川に似てる? (JPEG 41.3KB)
ヨーロッパの田舎の幹線道路は
郊外では高速道路並みに立派でも
ひとたび街に入った途端、中世の街路そのままみたいに
細く、曲がりくねり、おまけに石畳になったりする。
Rodezの手前30km程度のところにあるEspalionもそうだった。

それだけなら、どこにでもある田舎町と同じで
『ああ、またか…』と
迷惑そうに通過するだけだったのだろうが
狭い街路を抜け、橋を渡ったところで
ルームミラーに映ったけしきを見たのがいけなかった。

橋を渡ったところでクルマを停めたボクは
歩いて橋の真ん中まで引き返し
残る400kmの道のりのことなどすっかり忘れて
そこにあるけしきに見入っていた。

橋の下を流れていたのは、かなり立派になったRot川だった。
すぐ下流で塞き止められ、澱んだ川面には
となりにある石造のアーチ橋が影を落とし
その向こうでは水鳥が泳いでいる。

再訪したいEspalion (JPEG 31.5KB)
またしても道草を食ってしまったボクは
今度こそ大急ぎで、ロデス、アルビを通過し
トゥールーズからオートルートを激走した。

道端の標識には[AUTOROUTE DES DEUX-MERS]と書かれている。
二つの海ってのは
大西洋と地中海を結ぶ道だからだろう。
右手に見えるのはピレネーの山々に違いない。
そこはもう、イベリア半島の付け根だった。


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