26 スロヴェニア/クロアチア国境


スロヴェニアとの国境をすぎても
景色はあまり変化しない。
道の両側にはプラタナスの木が繁り
まわりの山々は濃い緑で覆われている。
白く、乾いた感じの舗装のうねりもイタリア的だ。
道端には、ところどころに
車でやってくる観光客相手のレストランやバーなどがある。

イタリアの田舎の民家と同じ
濃いレンガ色の屋根と明るい黄土色の壁をした建物だが
たいていは平屋建てだ。
道路に面して大きな木の植わった空き地があり
その下にパラソルを立て
イスやテーブルを並べているところが多い。
停まっている車のほとんどは
イタリアのトリエステナンバーだ。
往来が楽になった近所のイタリア人が
休日に遊びに来るようになったのだろうか。


イストラ半島基部の国境線は
複雑な形をしている。
半島全体のほとんどは
クロアチア領なのだが
付け根の西側に垂れ下るように
スロヴェニアの領土が張り出し
さらにその内側に
トリエステ湾を取り囲むように
イタリア領が回り込んでいる。


このあたりの右手は、アドリア海に突き出たイストラ半島だ。
オーストリアの南部から
スロヴェニアの西部を通ってイストラ半島までが
ヨーロッパで一番緑がきれいな地域だと思う。
とくに、イストラ半島の付け根を横断する道から見える
南側の山々は美しい。
見渡す限りの土地を覆う、いろんな濃さの緑色。
そこには1点の灰色も茶色もない。
半島の先端はもう、クロアチア領だ。

イタリアの右翼あたりを中心として
この半島を奪還しようという動きがあるが
それより、トリエステをスロヴェニアにあげたほうがいい。
いや、そんなことより、国境がなくなって
スロヴェニア、クロアチア
ハンガリー、オーストリアにまたがる地域は
自由に人や物の行き来ができるようになるべきだ。
もちろん、人々は自分の好きな言葉を話して、である。

イタリアのトリエステからクロアチアのリエカへ
半島の付け根を横断する道が
スロヴェニア領内を通るのは、わずか30数kmだけ。
間もなく、立ったばかりの“国境あり”の標識と
徐々に小さな数字になる制限速度の標識が見えた。

以前は何もなかった山あいの平地に
新しいボーダーができている。
初めてのスロヴェニア/クロアチア国境越えに
ボクは緊張していた。
最初のブースでパスポートを見せ
「スタンプをくれ」と身振りで伝えると
「ポリス オーバーゼア」と返事があった。
そうか…、ここは税関だった。(^_^;

10メートルくらい離れた次のブースで停車し
クルマの窓からパスポートを見せると
ちらっと中を覗いた後、係員から
“行ってよろしい”の合図があった。
「May I Have Your Stamp, Sir?」と
バカていねいにお願いすると
彼は“STAROD”と入ったスタンプを押してくれた。

「フヴァーラ・リイェポ、ナ・スビダーニャ」
…と言って走りだそうとすると
ボーダーの建物の屋根ではためく
新生スロヴェニアの旗が見えた。
国境でカメラを構えるのはご法度だ。
でも、今回はこれでスロヴェニアとはお別れだから
どうしても写真に撮っておきたかった。

歩いてさっきの小屋に引き返し
旗を指差して「写真を撮っていいか?」と聞いた。
出てきたポリスマンは、ゲルマン系の顔をした大男だった。
そいつは、ドイツなまりみたいな感じの英語で
「ノット プロヒビテッド」と答えた。
スロヴェニア国旗の写真を撮り
ついでに広角レンズでボーダーの建物を撮った。


ボーダーの建物の屋根ではためく
スロヴェニア共和国の旗。
正式名称はRepublika Slovenija。
ユーゴスラヴィア連邦からの独立は
1991年6月25日だった。
面積は日本の1/19。
人口は日本の1/64で
91%がスロヴェニア人。




クルマに引き返そうとしていると、さっきの大男がやってきて
「オマエはワインが好きか?」と尋ねた。