52 締め切り堤防をアムステルダムへ

ダッチTTの会場
ファン・ドレンテ(Van Drenthe)サーキットは
今や世界選手権では珍しくなった公道コースである。
昔は本当に牧場の中の公道を閉鎖してレースをしていたし
今はレース用にコースが改修されているとはいえ
普段は、その一部が一般公道として使われている。


普段は一般公道だから
レースが近づくと
スポンジをシートで包んだ
クラッシュパッドを
コース脇に並べる。
こういうシーンに
トラクターが出てくるのが
何ともオランダ的で微笑ましい。


入り口にある小屋でプレス受け付けをしたわれわれは
ライダーやメカニック、プレス連中にあいさつをしながら
しばらくパドックの中のようすを観察してから
レース期間中のホテルを探すためにサーキットを後にした。

目当てはグローニンゲン
(オランダ語では「フローニンヘン」に近い発音)だ。
現役メカニックのときは
パドックに停めたキャラバンで寝泊まりしていたし
前回の取材ではサーキットの近所の
レストランの屋根裏部屋に泊まったから
グローニンゲンに泊まるのは初めてだ。

グローニンゲンの町は、中心部に堀のように運河が流れ
運河に囲まれたところは、中世そのままの旧市街。
旧市街の街路は、すべてこげ茶色の煉瓦が敷かれ
クルマは複雑な一方通行によって規制されている。
自転車道、自転車横断帯などが完備され
乗りものの中で自転車が一番偉いのは
他のオランダの都市と同じだ。

その旧市街の一角に
イギリスの“イン”を思わせるホテルがあった。
波打った煉瓦敷きの歩道から数段の階段を登ると
真鍮でできたノブのついた、観音開きの木のドアがある。
それを開けて中に入ると
年期の入った赤いカーペットを敷いた廊下があり
突き当たりにレセプションがある。
「今日から日曜の朝まで泊まりたい」と言うと
「TTだね。OK。ツインで1泊100ギルダーだ」と
難しいと聞いていたTT期間中の宿探しはあっけなく終了。

こてこてにペンキを塗り重ねられた
鉄のフレームむき出しのリフトで2Fに上がり
いくつものドアを開けながらギシギシ音を立てる廊下を進むと
われわれの部屋があった。
日当たりが悪く、照明をつけても薄暗い。
でも、広さは十分だし、ベッドも大きく
その気になれば5〜6人は泊まれそうだ。
おまけにシャワーも完備している。
荷物を運び込み
ドイツよりはるかに寒いこっちの気候に合わせて着替えをした。

今日はこれからスキポール空港まで
ニースから飛んでくるiさんを迎えに行かなければならない。
「ボク一人で行くから
ゆっくりしててかまいませんよ」とWさんに言うと
「一人でメシ食ってもうまくないので
いっしょに行きましょう」との返事。
結局、またしてもWさんといっしょにクルマに乗り
スキポール(アムステルダム)に向かうことになった。
レセプションのお姉さんに聞くと
内陸を走って行くより
“アフスルイトダイク”経由のほうが速いだろうとのこと。

グローニンゲンの旧市街を出たわれわれは
郊外からアウトバーンに乗り
ガラガラの[A7]を西(北海方面)へ向かって走りだした。


グローニンゲンから
スキポール空港までは、約200km
アムステルダムに行くなら
[A7-E22]を走るのが速い、と
ホテルのお姉さんに教わった。
実際走ってみると
内陸の[A28]+[A1]経由よりも
はるかに道はすいていた。
[A7]は、途中、約30kmにわたって
アイセル湖締め切り堤防の上を走る。


途中のガソリンスタンドの売店で
切り花やドライフラワー、アレンジフラワーなどを売っている。
さすが、花の国オランダだ。

ときどき“クルマ没収”の話を思い出すが
それでも、慎重に後方を確認しながら飛ばし
アフスルイトダイクにさしかかる。
アフスルイトダイクというのは“アイセル海締め切り堤防”の名称で
アイセル海を北海と切り離し
淡水化しつつ水位を下げるために設けられた
全長20kmを超える一直線の堤防だ。
堤防の上には片側2車線のアウトバーンと自転車道が通っている。


中間地点にある休憩所から
下を通る[A7]を見る。
左手の堤防の外側が北海で
右手は、堤防によって
北海から締め切られた
アイセル湖(元・アイセル海)。
自転車道は堤防の上を通る。


延々と続くアフスルイトダイクを抜け
ところどころにある風車や
藁葺屋根がなだらかなカーブを描く典型的なオランダの農家を見ながら
平坦な牧草地の広がる低地を縫って南下すると
間もなくアムステルダムの町だ。
環状のアウトバーンで町を迂回したわれわれは
海底トンネルを抜け、スキポール空港に直行した。