73 バルセロナの日本食

“何かをする天使像”の撮影を終え
われわれは“小雪”に向かった。
バルセロナの市街地の
どこにでもある古い石造3〜4階建てのビルの1Fに
そこだけ異様に新しい格子戸をはめた店。それが小雪だった。
店内に入ったボクは
“バルセロナにこんなに日本人がいるのか…”とびっくりした。
カウンターの中の従業員から壁に貼られたメニューの文字
入り口の脇にあるマンガ本を立てた本棚など
そっくりそのまま日本のメシ屋だ。

おもしろいのは、本棚の一部にあるチラシの類。
“日本語教えます”と日本語で書いたものや
“ピアノ教えます。当方**音大出身”など
家庭教師の生徒募集のものが多い。
バルセロナで発行されている
日本人向けの日本語新聞や本物の日本の新聞
さらには総領事館からのお願いを刷ったパンフなどもある。
ここに来れば日本人に会え、日本や当地の日本人の情報が得られる。
小雪もまた、この街の日本人社会になくてはならない
情報センターになっているようだ。

料理は…。もう、最高!
ボクが海外で入った日本食屋の中で、最も美味しい。
これなら、日本でやってても大丈夫というレベルを超えて
日本の都会でやってたら大繁盛間違いなしって感じなのだ。
冷奴、枝豆、焼き魚、シジミの味噌汁などなど
どれもが日本国内でもなかなか味わえない美味しさだった。
これにはボクもWさんも大満足。
海外で日本食屋に入るのが好きではないボクでさえ
“今度バルセロナに来たら、またここに来たい”と思ったほどだ。

かなり酔っぱらった状態でホテルに戻ると
今夜もまた、地元の少年が表通りにたむろしていた。
金曜の夜ということもあって、その数は昨夜より多い。
ホテルの玄関から中に入るときなど
取り巻く少年たちに
侵入のチャンスを与えないようにするのが大変だ。

翌・7月3日・土曜日。
この日も快晴で、やや風が強かった。
タイムスケジュールは金曜日と共通。
午後の第2回予選が終われば
決勝のスターティンググリッドが決まる。
250ccクラスでは、期待の原田が2番手
125ccクラスでは若手の辻村がポールポジションで
上田、斉藤、坂田が4〜6番手を占めた。

レース期間中の昼食の良否は
サーキットのレストランの質にかかっている。
ホスピタリティーを持つチームのスタッフは
自分のチームのホスピタリティーテントで
いいものを食べられるが
日本人プレスの間には“タダ飯は招かれたときだけ”
…みたいな不文律があるから
普段はサーキットにあるレストランで食べている。
ところが、どこのサーキットにもレストランがあるとは限らず
昼は売店のサンドイッチとか
ハンバーガーだけということも多い。
カタルーニャもそうだった。

ところが、この日は、うまい具合にTuさんが誘ってくれた。
Tuさんが働くのは、グランプリでも最強の部類に入るチームだ。
そこのシェフのお招きだから
大手を振ってホスピタリティーで昼食だ!
Tuさんは、ロンドン郊外のヒースロー空港に近いところで
日本食屋を経営しながら、レース期間中だけサーキットに来る。
一番人気のあるメニューはカレーで
これは日本人だけではなくヨーロッパ人スタッフにも大好評らしい。
なるほど…、Tuさんのカレーは美味しかった。

夕食は、サーキットを出たところにあるレストランにした。
午後7時だったので、まだ客は少ない。
スペイン人の平均的外食時間は
午後8時〜10時といったところだ。
残念ながら、ここで何を食べたか、ほとんど覚えていない。
庭に面したテラスの席だったので少々寒く
サングリアみたいなのをガブ飲みして
酔っぱらったことしか記憶にない。

ホテルに戻ると、もう、そこは
開演前のどこかの劇場の正面と化していた。
群がる少年たちをかきわけかきわけ、クラクションを鳴らしまくり
やっとのことで地下の駐車場にクルマを入れ
そのままエレベーターで部屋に直行した。
風呂に入っているときに一度、夜中に数度
侵入した少年が「アラーダ!」とか叫んでドアをノックしていった。
上の階に泊まる本物の原田は、さぞ眠れぬ夜を過ごしたことだろう。