“今どきご立派!”な、オートバイレース関係の本。しかも近い将来に定期刊行(隔月刊)化を狙うという無謀とも思える試みを首謀したのはかつて私がレース専門誌のライターをしていたころに世話になり、今は三栄書房に勤める編集担当者だ。 その編集長の依頼を受け、私に執筆を依頼してきたのも、同じ雑誌で一時期、私の連載ページの編集担当だった、現・フリーの編集者だ。ここでは仮に、編集長をK、フリーの編集者をIとしておく。 Iから最初の執筆依頼があったのは8月の終わりごろ。1冊丸ごと、1983年にフレディ・スペンサーが乗 ったNS500の本を出すとのこと。 “そんなの売れるわけね〜よ”と思いつつ、Iに頼まれた“1983年のフレディ対ケニーの激しいタイトル争い”についての調査を開始した。マシンやメカニズムに関する記事は私の担当ではなかったので、それらにはあまり深入りせず、ただただ頭の中にあの興奮を再現すべく、1983年の世界GPについて書かれたいろんな書物を読み漁りながら、企画/編集が煮詰まるのを待った。 ところが、困ったことに、次の連絡が来たのは10月2日。 さらに、担当ページのレイアウトの到着は、7日の深夜にまでズレ込んだ。 このときの私は、10〜11日のCLUB XVの全国オフ会に参加すべく必死でXJ900の 腰上オーバーホールをして |
| いた。月末〜翌月1日に出る3誌の原稿は1文字も書いていない。おまけにバイカーズステーションの12月号には、通常の連載に加えて2010年型YZ450Fの紹介記事を書くことにな っていたので、帰ってきてから大変な目にあうのはわかっていた。 そんなわけで、腰上オーバーホールは現実逃避、全国オフ会に至っては敵前逃亡みたいなものだった。だが、仮にオフ会をキャンセルしたところで、10〜11日に執筆が進み、あとで楽をできるかというと、決してそんなことはない。この稼業を20年以上やっていて、何よりもよくわか ったのは自分の性格である。 仮に早めに書き始めても、結局ギリギリまで読み返しと書き直しを続け、最初に書いたモノとは全然違った原稿になってしまう。で、最初のも最後のも気に入らない。最初のには迷いが感じられるし、最後のは手を入れすぎた臭いが鼻につく。 やはり雑誌原稿というヤツは、追いつめられた状況で一気に書き進めたほうがいい。…とか何とか、言いわけをいっぱい考えて、全国オフ会から帰ってきた私は、14日の早朝にP.17までの本文を書き終えると同時に送信して時間稼ぎをし、その間にバイカーズステーションの奥付を書き飛ばし、翌日昼すぎにはロードライダーの連載原稿を完成させ、16日の昼にP.33までの本文を全部書き終えた。これでRACERSの担当ページは |