電蓄との出会い

オーディオとの付き合いは、幼稚園の頃に始まりました。家にあった電蓄でモーツァルトのアリア集やアイネ・クライネ・ナハトムジーク、レオポルト・モーツァルトのおもちゃの交響曲などを聴いたのを覚えています。母親に操作を教えてもらい、年長組の頃には自分でアンプのスイッチを入れ、ターンテーブルにレコードを乗せて回し、ピックアップの針を降ろす…という一連の操作ができるようになりました。

どんな電蓄だったか、現存しないため、今となってははっきりしません。親父の話では、プレイヤー、アンプ、スピーカーとも、知り合いのマニアが自作したものだったそうです。ターンテーブルのゴムマットに“cec”の文字が入っていたのを、おぼろげながら覚えています。ピックアップは、SP/LP切り換え式。アーム先端のツマミを180°回転させて切り換えるタイプです。今思うと、おそらくクリスタルピックアップだったのでしょう。

薄いレコードは、針を“LP”に合わせて、直径が大きいのは33+1/3回転。直径が小さくてまん中の穴の大きなのは、ターンテーブルの横に置いてある輪っかをはめて45回転。厚いレコードは“SP”に合わせて78回転。ときどき間違えて、変なテンポや音程で鳴らしたことも、もちろんあります。回転中のSPに針を降ろすのはかなり恐く、しかもすぐに裏返さなければならないので、SPはあまり好きではありませんでした。…と、このあたりが、私の電蓄および再生音楽初体験です。

アンプは、真空管が5本並んでいたこと、ボリュームをはじめとするツマミが複数あったこと、黒いトランスと銀色のコンデンサーが突き出していたこと、電源を入れてしばらくしないとマトモな音が出ないこと、ちゃんとした音が出る頃には一番左の真空管が恐いほど真っ赤になったこと…これくらいしか覚えていません。

スピーカーは、もう少しはっきり覚えています。ユニットはナショナルの“ゲンコツ”でした。箱は、かなり大きなバスレフ・フロアー型。実は、幼稚園の頃は、なぜかこのスピーカーが(鳴っていないときだけ)恐くて、前を通るときは目を背けていたものです。でも、恐いもの見たさというのもあって、ときどき、ネットに目を近づけて、こわごわ中を覗くと、まん中で怪しく光る黒い球形の物体が見えました。

小学1年生のときに引っ越した後、上記の電蓄は子供部屋に置かれることになりました。しかし、その頃には、もう私は電蓄のメカニズムに対する興味を失っており、ただのレコードを聴く道具と化していました。そして高学年になると、鉄道やその他に興味が移り、レコードを聴く機会もどんどん減っていきました。

そんな私が、再び電蓄を触るようになったのは、高校生になってからでした。先輩から借りてきたビートルズのレコードを聴いたのがきっかけで、自分も小遣いでビートルズのLPを買ったからです。ところが、初めて自分のお金でレコードを買いに行ったお店で、ついでにアイネ・クライネ・ナハトムジークを買ってしまうあたりが、幼稚園時代またはそれ以前の、原体験のなせるわざでしょう。

その“アイネ・クライネ”は、小さい頃から聴き慣れていたのと、ずいぶん雰囲気が違いました。でも、聴き慣れていた“アイネ・クライネ”は、引っ越しのときにどこかにまぎれ込んでしまい、手元にありませんでしたので、“アイネ・クライネ”よりも、いっしょに収録されていた“ディベルティメント”のほうをよく聴きました。

ちょうどその頃、オーディオに凝っていた叔父が、パイオニアのアイドラードライブプレイヤー“PL-7”、トリオのソリッドステートレシーバー、ビクターのスピーカー(型番に“3”のつく小型の2ウェイ密閉ブックシェルフ型)の3点セットを譲ってくれました。これが私の“ステレオ”初体験です。

今の若い人には“レシーバー”と言ってもわかってもらえないかもしれませんね。要はチューナー一体型プリメインアンプです。あ、そういえば、プリメインアンプなんて言いかたも最近はしないのかも…。プリメインアンプ=インテグレーティッド・アンプです。

ステレオになり、音質も良くなった(ノイズがなくなった)のはうれしかったのですが、ただそれだけ。ターンテーブルの面白さも、真空管の不安も、ゲンコツの恐さもない、機械としての魅力のまったく感じられない3点セットでした。スピーカーの置き方を変えてみたり、カートリッジの針圧を変えてみたりはしましたが、とにかく、もっといい機器がほしい…という気持ちは高まるばかりでした。

次の転機は、またしても引っ越しでした。田舎にある親父の実家へ戻ったのです。そこには、例の叔父のお古の、テレフンケンのユニットを使ったキットを組み立てた3ウェイ・バスレフ・フロア型スピーカーと、トリオの管球式レシーバー(型番に“WX”がついていたように思います)がありました。その2点にPL-7を加えたセットが、引っ越し後の私のシステムとなりました。

上記の組み合わせは、ボリュームを上げると、それなりにいい音がしました。小遣いで買える唯一のパーツであるカートリッジを変えたり、スピーカーのエンクロージャーの中に補強を入れたり、つまようじで真空管のソケットを磨いたり、音はともかく、いろいろ手入れをして楽しんでいたのがこの頃です。

ヤマハC-2a、NS-1000M、そしてダイナキットMk3

そんな私が、初めて手に入れた本格的なオーディオ機器は、ヤマハのプリアンプC-2aでした。オートバイに乗りはじめた私が出入りするようになったバイクショップの従業員が、それだけ持っていた(たぶん、他の機器を買い揃えるのを断念したのでしょう)C-2aを、どういうわけか私にくれたのです。私は狂喜しました。それがどんなに優れたアンプなのかは、雑誌を読んで知っていましたから。

ただ、残念なことに、プリアンプだけもらっても、それと組み合わせるパワーアンプがありません。そこで私は、トリオの管球式レシーバーを分解し、パワー段に入る前のところから配線を引っ張り出し、そこにC-2aの出力をつなげる…という、今考えると恐ろしいこと平気で試し、何とか鳴るようにしてしまったのです。

その後2〜3年して(1985年)、私がC-2aを持っていると知ったオートバイ仲間(オーディオマニアでもあった)が、中古のNS-1000Mを買わないか…と持ちかけてきました。その評判と性能は知っていましたし、ちょうど臨時収入があったので、迷わず買いました。とくに気に入っていたわけではなかったのですが、気に入ったスピーカーなど、当時も今も高嶺の花ですから、16年経った今も、そのNS-1000Mを使っています。

続いて、今度は行きつけのオートバイショップのオーナー(初代パラゴンやマッキントッシュMC2300などを所有)が、壊れたアンプを引き取ってくれ…と言って、ダイナキット・マーク3を2台、くれました。壊れているといっても、2台とも真空管(6550)が1本ずつ割れていただけです。さっそく大阪の日本橋に行って6550を4本仕入れて使えるようにし、C-2aにつなぎました。

ダイナキット・マーク3(完成品は、かの有名なダイナコ・マーク3)に替えて、確かにパワーは出るようになりました。しかし音質的にはちっともいいと思いませんでした。C-2aを使い出したときも、NS-1000Mが鳴り出したときも同じで、いいものを手に入れたという喜びはあっても、音的には大した感動を与えてはくれなかったのです。

ボロボロになったPL-7の後継に、質屋でPL-30を買ったときも、私にとって初のCDプレイヤーとなったヤマハのCD-350を同じ店で買ったときも、便利にはなったけれど、ほとんど感動はありませんでした。

そんなある日、工具を買いに出かけた日本橋の五階百貨店というところ(あらゆるものの中古屋が軒を連ねている一角)で、C-2xを見つけたのです。店のオヤジが大事そうにいじっていて、それには値札がついていませんでした。自分のC-2aのボリュームに少々ガリが出ていたこともあり、新しそうなC-2xのことが妙に気になったのですが、その日はそのまま帰りました。

オーディオへの興味を開花させてくれたC-2x

ところが、帰ってからも、C-2xのことが頭から離れませんでした。あのオヤジは出品のために整備をしていただけで、その後値札をつけ、誰かに売ってしまったらどうしよう…と思うと、いてもたってもいられず、数日後、再び私は五階百貨店に行きました。果たして、C-2xは、4万5千円の値札をつけて店頭に並んでいました。

慌てて銀行に行き、お金をおろしてそのC-2xを買った私は、急いで家に帰り、C-2aの替わりにダイナコにつなぎ、レコードを鳴らしてみました。聴き慣れたモーツァルトのクラリネット協奏曲Kv.622が鳴り出した瞬間の感動は、今でもはっきり覚えています。それどころか、静寂の中から第一楽章冒頭の4小節が現われてきたときの聴こえかたさえも、耳のどこかに残っているような気がします。

同じヤマハの、同じグレードの、似たような機種名のアンプが、設計年代の違いだけで、これほど異質な音を聴かせるとは…。いや、異質ではなく、異次元というべきです。とにかく、C-2xのほうが圧倒的に多くの音が聴こえ、しかも、音の一粒一粒の輪郭がくっきりと、それでいてやわらかい…。これには驚きました。持っているレコード全部を聴き直さなければ…。そんな気がしました。

ただこれは、アナログレコードをソースとし、MM型カートリッジ(Stanton機種不明やAudio Technica機種不明)で再生し、C-2a、C-2xそれぞれのMM用フォノアンプを経た音の比較(しかも組み合わせていたパワーアンプはダイナキット・マーク3)ですから、上に書いた違いは、主としてフォノアンプの音の違いによるもので、ライン入力の場合は、あるいはもっと似ているのかもしれません。

ちゃんとしたCDの再生音をC-2xと比較する前にC-2aを人に譲ってしまったのが、今となっては非常に残念です。最近になってB-2とB-5(B-2とB-2xの間に存在した高級パワーアンプ)を入手したこともあり、B-2だけでなくB-5のペアでもあったC-2a(C-5という機種は存在せず)を再び手に入れ、聴き比べたいと思っています。

それはともかく、非常に気に入ったC-2xにも、一つだけ問題がありました。CD-350とPL-30の音の違いがはっきりしたことです。これはただ、CD-350の性能が良くなかっただけなのですが、当時の私は“CDの音なんて、しょせんノイズがないだけで、美しさはアナログレコードのほうが上…”と決めつけ、CD-350を手放してしまいました。

こうしてしばらくCDを聴かないでいた私に、再びCDを聴こうという気にさせたのは、同じヤマハのCD-2でした。当時すでにCD-2は同社のカタログから落ち、CD-2000あたりが登場していましたが、一世代前とはいえ、ヤマハの最高機種だったCD-2が安く出ていたので、これでCDを聴いてみようという気になったのです。

CD-2の音は悪くありませんでした。少なくとも、同じ録音(これまたドイツ・グラモフォン盤、アルフレート・プリンツ+カール・ベーム+ウィーン・フィルのモーツァルト・クラリネット協奏曲Kv.622でした)のアナログレコードとCDを、PL-30とCD-2で聴き比べると、CD-2のほうが心地よい音を聴かせてくれました。C-2aがC-2xに替わったときのような驚きや感動はありませんでしたが…。

ただ、CD-2の出物を手に入れた頃から、私は、“ほしいと思ったモノは、そのとき買えず、生産中止になっても、ほしいと思い続けていれば、いつか必ず手に入る…”という気がしてきました。次のB-2xとの出会いも、まさにそれでした。

NS-1000Mの音を激変させたB-2x

B-2xを見つけたのは、輸入もののCDを買いに、大阪・日本橋、五階百貨店の近くのテレーゼというCD屋さんに行ったときでした。(ちなみに、このときテレーゼの店内で聴いたクォードESL-63proの音は、13〜14年近く経った今でも忘れられません)

そのテレーゼのすぐ近くに、今ではすっかり有名になった逸品館というアウトレットオーディオショップがオープンし、そこのショウウィンドウの片隅に、値札のついていないB-2xが並んでいたのです。

B-2xもまた、当時すでにカタログからは落ちており、ほしいと思いつつ買えなかった機種です。C-2xを持っていながら、パワーアンプはダイナコを使い続けていましたから、B-2xを見た瞬間、“少々高くても買うぞ!”と心に誓いました。

が、足元を見られるとマズいので、努めて平静を装いながら、店員に値段を尋ねました。どうやらそのB-2xは、仕入れてきたばかりで、まだ値段を決めていなかったようでした。そして、交渉の結果、8万円という、まずまず妥当な値段に決まりました。

私が、実はC-2xを持っていることを話すと、その店員は、“それはもう、これしかありまへんで。ヤマハのパワーアンプの中では、これが一番よーできてます。この頃のヤマハはマッキンを意識した音づくりしてましたから、しっかりしたええ音してまっせ”と、強烈なだめ押しを食らわせてくれました。

たとえ10万円だったとしても買っていたに違いありません。私はまたしてもお金をおろしに銀行に走りました。お店に戻ったとき、すでにB-2xは丁寧に梱包されていました。急いで家に帰り、C-2xを買ったときのように、設置と配線をし、音を出してみました。

このときはちょうど家族団欒中で、親父もおふくろも同席でした。2人とも、B-2xの大きさと重さに驚いたようです。やがてドイツ・グラモフォン盤、フリードリッヒ・グルダ+クラウディオ・アバド+ウィーン・フィルのモーツァルト・ピアノ協奏曲第27番Kv.595が鳴り出し、グルダが最初のソロを弾きはじめた頃からようすが変わりました。

みんな、珍しく、音楽に聴き入っていたのです。私も、C-2aをC-2xに替えたときと同じく、B-2xが聴かせてくれる新しいKv.595の音に聴き惚れていました。第一楽章が終わりに近づき、グルダがカデンツァを弾きはじめたとき、親父が“おぉ!”と歓声を上げました。おふくろも“すごいなぁ…”と、感心していました。

B-2xの音の立ち上がりの速さは圧倒的でした。どこまでもスムーズな中高音と、解像度が高く、くっきりと輪郭を浮かび上がらせるかのような低音。聴き慣れたNS-1000Mが、まるで別のスピーカーのように生き生きと鳴りだしたのにも驚きました。

カタログ上のパワーは170W+170W(8Ω)、200W+200W(6Ω)という控え目な数値ですが、容量総計48万8000μF(4万8800ではない!)という超強力な電源による、2Ω負荷で625Wまで大丈夫というドライバビリティーの高さが、音質に好影響を与えているのは間違いありません。

C-2x、B-2xの組み合わせは、NS-1000Mを鳴らすにはかなり良いラインアップだと思います。スピーカーに比べてアンプがオーバークォリティではありますが、NS-1000Mを見直すきっかけとなったこのラインアップの完成後、私はしばらくオーディオよりもCDにお金をつぎ込むことになりました。

ちょうど、モーツァルト没後200年ということで、東京・六本木のWAVEというCDショップなどでは“モーツァルトの部屋”を作るという入れ込みよう。それが痛く気に入った私は、東京に出張したときは必ずWAVEに立ち寄り、CDをまとめ買いしていました。

ところが、その中に1枚、CD-2では鳴らないCDがあったのです。WAVEに電話をし、該当のCDを送り返し、新しいのを届けてもらいました。が、それでも、同じところで同じように音が飛び、トラックによってはまったく読み出しができませんでした。

ヤマハらしさを感じさせるCDX-2200の音

WAVEでは、私が送り返したCDも、問題なく再生できているとのことでした。それを聞いて、私は新しいCDプレイヤーを探すことにしました。狙いは、またもヤマハの旧機種・CDX-2200。後継機種が出てからかなり時間がたっていたので、店頭に並べているオーディオショップはほとんどありませんでした。

そんななか、私は、とあるお店のデモ機として使われていたCDX-2200を見つけました。定価は160,000円もしたのですが、デモ機ということで中古扱いにしてくれたので、80,000円で買うことができました。

CD-2よりも5年近くあとで作られたCDX-2200は、さすがにまったく次元の違う音を聴かせてくれました。C-2aをC-2xに替えたときと似た情報量の多さと、よく伸び、しかも抑制の効いた低域に驚かされました。CD-2も聴きやすい上品な音でしたが、あまりにも解像度が違うので、以後、CD-2を使うことはほとんどなくなりました。

CDX-2200は、ヤマハのCDプレイヤーの一つの頂点を極めたモデルではなかったか…と、今になって思っています。同世代・同価格帯のマシンの中で、極めて評価が高かったフィリップスのLHH-300と聴き比べたことがあります。私の評価では、内田光子のピアノソナタ(フィリップス盤)が互角(全然違う音だけど、どちらも非常に良い)で、その他はどんなソースを聴いても、CDX-2200のほうがはるかにいい音だと感じました。

CDX-2200を聴いたあとでLHH-300を聴くと、まるで、几帳面に仕事をするのが面倒なので、テキトーに、耳ざわり良く聴かせてやればいいだろう…みたいな、本当は雑な、しかしそれを雑だとは感じさせない音づくりの巧さ(ズルさ)を感じます。確かに、これだったら、いくらでも聴き続けられそうです。でも、私には、例え聴き疲れするかもしれないけれど、几帳面に、細やかに、CDに入った音をえぐり出してくれるCDX-2200のほうが性に合っています。

CDX-2200のデジタルボリュームで出力レベルのコントロールをし、B-2xに直結したこともあります。信号通過経路が単純になるため、劇的な音質向上を期待したのですが、ほとんど良さは感じませんでした。ひょっとすると、2.2MΩという異例に高いC-2xのCD入力インピーダンス(B-2xは25kΩ。ちなみに、C-2xも、AUX、TUNER、TAPEなどは一般的な47kΩ)が音質に好影響を与えているのかもしれません。

CDX-2200が加わった以後、私のオーディオ装置は、10年以上もの間、まったく変わりませんでした。毎日、浴びるようにモーツァルトとウィンナーワルツを聴いても、トラブルらしいトラブルは4回だけ。2回はNS-1000Mの泣き所といわれるウーファーの固着。他の2回はCDX-2200のベルト伸びによるトレイ開閉の不調です。

C-2xとB-2xは、手に入れてから12〜13年の間、まったくのノントラブル。ほとんど毎日、最低でも2時間は動かしているのが長持ちの秘訣かもしれません。もちろん、電源のon/off時にはボリュームを-∞に絞るという最低限のマナーは守っていますし、入出力端子は年に数回磨き、用がなくても月に数回はボリュームを(通電するが音は出さずに)最大まで回しきり、バランス調整ダイアルも左右いっぱいまで回したりしていますが、メンテらしいメンテはそれだけです。

ついでに言うと、NS-1000Mのアッテネーターも、もちろん、けっこう頻繁に回しています。メンテナンスが目的のときは、“元の位置→最大→最少→元の位置”を静かに数往復させるだけですが、そのほかに、レーベルによるCDの音(音域バランス)の違いに合わせるためにも回しています。ドイツ・グラモフォン盤を聴くときはスコーカーのレベルを-1.5dB程度にし、曲によってはさらにC-2xの“BASS”を+3dBあたりに調整するのが私の好みです。

今後スピーカーは替えるかもしれず、CDプレイヤーはすでに買い替えた(買い足した?)のですが、この素晴らしく良い音で恐ろしく丈夫なC-2xとB-2xは、たぶん、今後もずっと私のメイン装置の一員であり続けるでしょう。

GT-CD1が垣間見せてくれたもの

さて、その“買い足した”CDプレイヤーは、あのGT-CD1です。これもまた、売っているときにはほしくても買えなかったもののひとつです。C-2x、B-2x、CDX-2200、NS-1000Mなどを使い続ける私にとっては非常に新しい製品といえます。

このGT-CD1は、ヤフー・オークションで落札したものです。新品当時の定価は50万円で、私に買える値段ではありませんでした。ところが、ある日ヤフー・オークションを眺めていると、何と! 1万円でGT-CD1が出品されているではありませんか! これには驚きました。

あとでわかったことですが、1万円というのは出品者のタイプミスで、本当は10万円からスタートしたかったとのことです。が、まあ、そこはオークションですから、日に日に価格は上がり、最終日には10万円を突破しました。私は、終了時刻が近づくとコンピューターにかじりつき、リロードを繰り返しました。最後は、どこかの誰かと入札合戦となり、13万2000円に達したところで、ようやく私のものとなりました。

数日たって、出品者からGT-CD1が届きました。とても大切に使われていたらしく、ウレタン塗装の木部はほとんど無傷。新品時の同梱品もすべて未開封という状態でした。もちろん、機能的にも完動品で、こんなに程度の良いGT-CD1を、非常に安価で提供してくれた出品者に感謝しています。

期待の音は…。このときもまた、いつものKv.622からスタートしました。もう何千回も聴いている演奏ですから、ちょっとした違いでもすぐにわかります。第一楽章冒頭の4小節が鳴り出した途端、私は、わずかに開いたドアの隙間から、ハイエンドオーディオの世界を垣間見た気がしました。

GT-CD1が奏でる音楽は、私に、2つの驚きを与えてくれました。一つは、その音楽性です。華やかでありながら抑制が効いていて、透明かつ濃密。とくに音の消えぎわの美しさは絶品で、発声し終わった後の歌手の口の形が見え、ペダルから離れるピアニストの足の動きが見えるかのような錯覚に陥ります。

もう一つの驚きは、CDX-2200の音との、極めて高い類似性です。電気的にも機械的にも、両者にはあまり共通点はないはずなのに、こんなに似ていていいのかと思うほど似ています。ヤマハのエンジニアは、技術的な進歩を、ただひたすら、CDX-2200で確立したヤマハサウンドを磨くためにだけ使ったのではないかとさえ思えてきます。

あえて両者の違いを探すと、まずは低域。スムーズさではGT-CD1に軍配が上がりますが、押しの強さや輪郭の明確さではCDX-2200が優っています。中高域も似たような傾向です。広がり感ではGT-CD1、押し出し感ではCDX-2200ってところです。ベリリウムドームユニット特有の中高域の“やかましさ”も、GT-CD1だと感じません。

オーケストラのバイオリンはGT-CD1が、ソロのビオラはCDX-2200が、そしてピアノはどちらも良く、立ち上がりのスムーズさと消えぎわの美しさはGT-CD1が、一つ一つの音の明快さはCDX-2200が、ほんのわずかな差ですが優っているように思います。

上に書いたように、とても気に入っていたCDX-2200ではありますが、GT-CD1を入手した後しばらくして手放し、替わりにCDX-2000を手に入れました。ところが、その後まもなく自宅の外に仕事場を設け、オーディオシステムも2系統に分けることになったため、デザイン的に他の機器とマッチするとの理由で、私にとって3台目のCDX-2200を、これまたヤフー・オークションで落札しました。

そしてさらに、あこがれのT-2を自分のものに

ヤマハのFM専用チューナーT-2が、いつ頃発売されたか正確には知りません。C-2やB-2と同時期だとすると1976年ですから、もう25年以上も前の製品です。私がT-2をほしいと思ったのは1980年頃。雑誌のだったかカタログだったか、とにかく、その広告コピーを読んで、“スゴいなぁ…”と感じたのを覚えています。

でも、あまり熱心にFMを聴かない私には、いくらなんでも、FM専用チューナーに13万円もの出費はできませんでした。いや、何しろ、上にも書いたように、自分で買えるのはカートリッジが精一杯の頃ですから、半額だったとしても買えなかったでしょう。

そんなわけで、T-2は、現物を見ることもないまま、いつの間にかカタログから消えてしまいました。C-2xに続いてB-2xが自分のものになり、それらと並ぶグレードのチューナーも揃えたい…と思ったときには、もう、どこを探してもT-2はありませんでした。

とりあえず私は、同じヤマハの、同じブラックパネルの、C-2xと同じ縦横寸法のT-750を買いました。これもまた、PL-30、CD-350、CD-2、K-650などと同じく、質屋で安く買ったものです。しかし、音質はともかく操作感が好きになれず、デザインにも魅力を感じなかったため、ほとんど使っていませんでした。

ところが、ある日、ヤフー・オークションにT-2が出品されているのを発見しました。それを見た瞬間、はじめてT-2の存在を知ったときのことを思い出しました。セカンドシステム用にT-2000Wを、そして興味本位でTX-700を落札した直後だったにもかかわらず、入札せずにはいられませんでした。

このT-2は、コメント欄に“ジャンク品扱いと致します”と書かれていたのが原因か、あまり競り合いにはなりませんでした。結局、私は、このT-2を、21,500円という信じられない値段で落札しました。T-2がウチにやってきてからというもの、私は、CDを聴くときでさえ電源を入れ、イルミネーションの美しさに見とれています。

いくら当時のハイエンド機とはいえ、25年を経た今では、性能的にはもっと優れた製品がたくさんあるでしょう。しかし、この、超シンプルな外観でありながら、“聴く、触る、眺める、所有する”のすべてを満足させてくれるT-2に、音楽を知り、音を創り、日本のオーディオを(オーディオだけでなく、ひょっとすると音楽全般をも)育ててきたヤマハというメーカーの感性と良心(良い意味で日本的な)を感じます。

自分がしている他のこと、そして自分のライフスタイルとのバランスを保ちながら、その範囲で、できるだけ良質な再生音楽を楽しむ…。これが私のオーディオ観です。音については、まず最初に妙なクセがないこと。そしてレスポンスが良く、明確で、消えぎわの美しい低域と、明晰で華やかで、しかし抑制の効いた中高域がテーマです。

そして外観は、アマチュア臭さのない、大人のセンスを感じさせるデザインと、高度な技術に裏づけられた精緻なフィニッシュ。ああ、やはりヤマハしかありませんね。ホームシアターもいいけれど、ピュア・オーディオも忘れないでね。ヤマハさん。

GT-CD1+C-2x+B-2x+ESL-63

GT-CD1を見つけ、落札したのがきっかけとなって、半ば眠っていたオーディオ熱が再燃した私は、上に書いたT-2、B-5、B-2などに続き、B-70、CX-1000、K-1x、K-1xw、T-2000W、2台めのT-2、NS-1 Classics、そしてA-2000a…と、ヤマハのかつての高級機を落札、入手しては聴いてみる…ということを繰り返していました。

いろんなアンプを入手するたびに、“コイツはどんな音を聴かせてくれるだろう…”と、試聴機以外はいつもと同じラインアップで聴いてみては、音の違いに驚かされました。そんななかで、とくに印象に残っているのはB-5とA-2000aです。

パワーアンプをB-5にすると、NS-1000Mは、水を得た魚のごとく生き生きと鳴ります。たぶんこれがNS-1000M本来の音なのだろうと思わせる、非常に明朗快活でバランスのいい音です。NS-1000Mにとっては、B-2xで鳴らされるよりもB-5で鳴らしてもらえるほうが幸せに違いない…と思うほどベストなマッチングです。

A-2000aの場合は、プリメインアンプなので、B-2x単体との比較ではなく、C-2x+B-2xのコンビネーションとの比較になりますが、とにかく“とても良い音のアンプ”というのが第一印象です。NS-1000MのほかにNS-1 ClassicsとQUAD ESL-63を鳴らしてみても、やはり、非常に良いアンプだということがわかります。

A-2000aは、良い意味で非常に優等生的。プログラムソースを選ばず、しかしその違いを鳴らし分ける…。そんな感じです。だから、おそらく、客観的には、私の現有アンプ中、最も良い音だと思います。ただ、C-2x+B-2xと比べると、ほんのわずかな差ですが、音が硬いような気がします。

B-5やA-2000aで聴いた後、C-2x+B-2xの組み合わせに戻して感じるのは“やわらかさ”と“静かさ”です。この“やわらかさ”は、C-2aをC-2xに替えたときに感じた“やわらかさ”と同じものです。でも“静かさ”に気がついたのは最近のこと。C-2x+B-2xだけを聴いているときは、そんなことを感じたことはなかったのに、しばらく他のアンプで聴いた後、C-2x+B-2xの組み合わせに戻すと、まるで部屋がデッドになったのでは…と思うほど静かに感じるから不思議です。

で、この静かなアンプで、静かさに定評のあるQUAD ESL-63を鳴らすとどうなるか…。いや、まあ、そういうふうに順序だてて考えたのではありませんが、私は、C-2xに続いてB-2xを手に入れた頃から、この組み合わせでESL-63を鳴らしてみたい…と思っていました。そして、このほど、ようやくESL-63を手に入れたことにより、十数年間思い続けた夢の組み合わせが実現したわけです。

QUAD ESL-63については、セッティングが難しいとか、パワーアンプを選ぶとか、壊れやすいとか、今までさんざんいろんな話を聞いてきました。でも、少なくともパワーアンプに関しては、B-2xは、何の問題もなく軽々と、そして、恐ろしく正確にESL-63をドライブしています。

プログラムソース(CD)には入っているけれど、私の現有装置の組み合わせのなかでは、GT-CD1+C-2x+B-2x+ESL-63という4点セットでしか聞けない音、というのがたくさんあります。もちろん、世の中には、もっとたくさんの音が出てくる装置もあるに違いありません。しかし、今の私には、これだけ出てくれれば十分です。

この組み合わせが、最も得意とするのはピアノの右手でしょう。いろんなオーディオ機器の試聴に使っているドイツ・グラモフォン盤、フリードリッヒ・グルダ+クラウディオ・アバド+ウィーン・フィル、モーツァルト・ピアノ協奏曲第27番Kv.595の、第一楽章のカデンツァのトリルやアルペジオの再生ぶりには、ただただ驚くばかりです。(2001年6月)

QUAD壊れる/直る

ESL-63がやって来てからというもの、“ああ、何ていい音なんだろう…”と、聴き惚れる日々が続いていました。ところが、やってきてまだ1ヵ月も経たない、ある梅雨の日のこと。窓側に置いた左側スピーカーがわずかにビビったと思った私は、慌ててすべてのオーディオ機器の電源を落としました。

あとは…、ESLをご存じのかたなら誰もがご想像のとおり。恐々電源を再投入してみると、見事な雨だれの音。ポタッ、ポタッ…なんて生やさしい雨漏りではありません。バラバラバラ、ダーッ…っと、雨だれでなければ、緩んだ太鼓の上に大量の小豆をぶちまけた音、とでも形容すればいいでしょうか。

大事なオートバイを盗られたわずか5日後に、同じくらい大事なスピーカーが壊れるなんて…。このダブルパンチは強烈でした。かなり落ち込みました。でも、“どうしよう…”という迷いはありませんでした。すぐにサウンドボックスさんに電話をした私は、症状を告げ、修理をお願いしました。

待つこと約1ヵ月半。ようやく修理の順番が回ってきたとの連絡があり、すぐに現物を発送しました。そしてわずか5日後に修理完了の連絡があり、発送から8日後の朝には、早くも修理完了品を受け取ることができました。待ち期間は少々長かったけれど、この迅速な対応には痛く感激しました。それに、部品代、工賃、送料を合わせて約7万円という価格も、安くはないにしても、十分に納得できます。

何度かの電話でのやりとりで、サウンドボックスさんに、使いこなしや使用上の注意事項などを親切に教えていただけたのも幸運でした。ESL-63との付き合いの短い私には、とても参考になりました。

「今回はとりあえず破損したエレメント1枚だけ交換しましたが、なにぶん古いロットなので、いつまた壊れるかわかりませんよ…」と言われました。でも、気に入ったモノに対して諦めの悪い私は、どこかでペアの片割れを安く手に入れて、今ある2本と合わせて3本でメンテナンスのローテーションを組もうか…などと考えています。

それはともかく、ESL-63が戻ってきてからは、再び、その音に聴き惚れる日々が続いています。ピアノの右手は相変わらずほれぼれするような鳴りかたをし、テノールの声も真迫モノです。クラシック系の楽器で唯一苦手なのは、実はバイオリンかもしれません。それなりに鳴りますが、とくに感銘的ではないといったレベルです。

スピーカーケーブルは、オルトフォンの6.7N SPK 500。最初これに替えたときは耳から血が出るかと思いました。中高域のエネルギーの強烈さ! 今までいろんなスピーカーケーブルを試してみて、替えるたびに“ほほう、けっこう音って変わるんだなぁ…”と思ったのですが、こいつはそんなレベルを超越していました。

聴きはじめて2〜3日は、元のケーブルに戻すことも考えましたが、聴き込むうちに気に入ってしまい、今では、もう、他のスピーカーケーブルを使うことなど考えられません。グルダのピアノはますます冴え、プリンツのクラリネットも、今まで以上に息づかいがわかるようになりました。(2002年3月)

まずはじめに動きやすさありき

私は、ESL-63の音というのを、外では一度しか聴いたことがありません。上に書いた、テレーゼ店内のESL-63proだけ。にもかかわらず、他のスピーカーにはほとんど目もくれず、“いつかはESL-63を自分のものに…”と、長い間思い続けて来られたのには、2つの理由があります。

ひとつはその構造。簡単に言うと“振動板の動きやすさ”です。ボイスコイル+振動板で構成されるスピーカーとは違い、ESL-63をはじめとするコンデンサー型スピーカーは、振動板そのものが電気回路の一部で、しかもその全面に駆動力がかかるわけですから、動きやすいのはむしろ当然ともいえます。

電気信号を空気の振動に変換するのがスピーカーの役割ですから、動きやすければ動きやすいほど良い…というのが私の考えです。動きにくい振動板を力づくで動かそうとして、超強力な磁気回路を採用したスピーカーもありますが、その場合、今度は、いったん動きだした振動板の制動が大変になります。

動きやすいものは止まりやすく、動きにくいものは止まりにくい。このあたりはオートバイの足周りのセッティングと似ています。ただ、オートバイでもオーディオでも、動きにくいものを力づくで動かし、動きすぎたらそれを力づくで抑えるのもまた、非常に楽しく、やりがいがあるような気がします。いや、実は、そっちにこそオーディオの醍醐味があるのはわかっていて、泥沼にはまりたくないというのが正直なところです。

2つの理由のうち、もうひとつは、極めて情緒的なものです。イギリス製だから…というのがそれです。1963年に構想を練りはじめたからESL-63という型番になったそうですが、発売までに10年以上の歳月をかけ、ようやく満足のできるものを発売した…なんて話を聞いただけで、ヨーロッパかぶれの私は、非常に興味をそそられます。(2003年3月)

2004年10月。ESL-63、また壊れました。今度は振動板2枚交換、他で14万円。う〜む、年間維持費5万円…。バイクやクルマだったらもっとかかるよなぁ…。この話は、いずれ詳しく。(2005年1月)

ESL-63の修理代金を稼ぐべくヤフー・オークションで物を売りまくり、余った金額で、いつか聴いてみたいと思っていたCDX-2020を入手。CDX-2200→CDX-10000→CDX-2000…と続いたヤマハの高級マルチビットCDプレイヤーの最終モデルだけあって、分解能の高さはさすがです。GT-CD1以上に感じられます。ホール感の再現性や“やわらかさ”では負けますが、CDを分析的に聴きたいときにはCDX-2020のほうが適しています。フィリップス盤とのマッチングが良く、CDX-2020で聴いた後にGT-CD1で聴くと、フィリップス盤に限り、左右のスピーカーの間に靄か霞みたいなものが漂っているような感じがします。あ〜、オーディオは奥が深い。(2005年2月)

■仕事場用システム
スピーカー: QUAD ESL-63
スーパーウーファー: YAMAHA YST-SW1000
メインアンプ: YAMAHA B-2x
プリアンプ: YAMAHA C-2x
CDプレイヤー: YAMAHA GT-CD1

■自宅用システム
スピーカー: YAMAHA NS-1000M
メインアンプ: YAMAHA B-5
プリアンプ: YAMAHA CX-1000 (Export Model)
CDプレイヤー: YAMAHA CDX-2200
FMチューナー: YAMAHA T-2
カセットデッキ: YAMAHA K-1x

■サードシステム
スピーカー: YAMAHA NS-1 Classics
プリメインアンプ: YAMAHA AX-10
CDプレイヤー: YAMAHA CDX-10

■増備計画?
スピーカー: QUAD ESL-989
メインアンプ: YAMAHA BX-1, B-2x
プリアンプ: YAMAHA C-2x
FMチューナー: YAMAHA CT-7000
アナログプレイヤー: YAMAHA GT-2000x

■愛聴盤
モーツァルト クラリネット協奏曲 Kv.622
  アルフレート・プリンツ、ウィーン・フィル、カール・ベーム
  ドイツ・グラモフォン

何といっても、これが私の最も好きな曲。あまりに頻繁に聴いているため、この曲を聴くと私を思い出す知人も多いとか。この曲についてではありませんが「はい、陛下、音符は必要な数だけございます」(つまり、無駄な音はない)と言ったと伝えられるモーツァルトの音楽の真骨頂だと思います。ただただ曲全体の美しさに浸って聴くこともあれば、スコアを見ながらモーツァルトの才能に感服しつつ聴いていることもあります。なぜか安部公房の小説に通じる天才性を感じる…などと書き出すと話が終わらなくなりますね。はい、この話はやめときましょう。モーツァルトが作ったこの曲が好きなのはもちろんですが、曲、演奏、レコーディングを含め、この録音自体が一つの芸術作品だと思います。アナログレコードで3枚、CDで3枚、同じ録音のを買ったほどのお気に入り。残念ながら、GT-CD1+C-2x+B-2x+ESL-63の組み合わせは、この録音を、私の望みどおりには再生してくれません。余裕があれば、この録音のためだけにセカンドシステムを組みたいと思っています。

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 Kv.595
  フリードリッヒ・グルダ、ウィーン・フィル、クラウディオ・アバド
  ドイツ・グラモフォン

モーツァルトのピアノ協奏曲には、好きなものが多いのですが、これとKv.488が私のベスト2です。構築美という点ではクラリネット協奏曲には適いませんが、美しさというか汚れのなさでは、これに優る曲はないような気がします。グルダのキレのある演奏が透明感を引き立てていると思います。GT-CD1+C-2x+B-2x+ESL-63の組み合わせで、最もうまく再生できる録音の一つです。第一楽章のカデンツァの再生ぶりは圧巻です。

モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 Kv.488
  マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル、カール・ベーム
  ドイツ・グラモフォン

曲としては、構築の確かさと楽しさがお気に入り。第三楽章冒頭のファゴットをはじめ、各所に散りばめられた管楽器の音色とリズム感を、それらそく再生できればいいのですが、私の装置ではなかなか難しいようです。その代わり、この録音に限ったことかもしれませんが、オーケストラのバイオリンの響きは、私の装置としては珍しく、なかなかうまく再生できています。

モーツァルト 交響曲第39番 Kv.543
  カール・ベーム、ウィーン・フィル
  ドイツ・グラモフォン

後期3大交響曲は全部好きなのですが、どれか一つといわれると、僅差でこれ…って感じです。第一楽章と第四楽章を聴くと元気が出ます。とくに第一楽章の重々しい序奏が終わり、続いて現われるアレグロの最初の部分が最も好きなところ。暖機運転が終わった愛車を駆り、山に向かうハイウェイを、朝もやを切り裂いて全開で駆け抜ける…みたいな高揚感に浸れます。ベームならではの情緒たっぷりの第二楽章も、この演奏の好きなところです。残念ながら、私の装置では、第一楽章をそれらしく雄大に鳴らすことはできません。

モーツァルト コンサート・アリア Kv.505
“どうしてあなたを忘れられよう − 恐れないで、いとしい人よ”

  テレサ・ベルガンサ、ジェフリー・パーソンズ
  ジョン・プリッチャード、ロンドン交響楽団
  デッカ−ロンドン(キングレコード)

フィガロの結婚の初演でスザンナ役を歌ったイギリスのナンシー・ストレース嬢。彼女がウィーンを去ってイギリスに帰ることになり、その送別演奏会のために作曲し、モーツァルト自身がピアノを弾いたと伝えられる曲。ストレース嬢こそ、モーツァルトが本気で恋した(本気じゃないのは、いっぱいあったみたいですが)最初で最後の女性だった…という説もありますが、この曲を聴くと、なるほど…と思えます。この曲が入ったCDのタイトルは“Teresa Berganza sings Mozart”で、フィガロ、ティトゥス、コシの3つのオペラのアリアも入っています。デジタル化のリマスタリングが上手かったのか、1962年の録音とは思えぬ良い音で鳴っています。私は昔からテレサ・ベルガンサの声が好きで、モーツァルトのオペラのレコードは、まず、彼女がキャストに入ってるものから買い揃えていきました。セビリアの理髪師のロジーナを歌っている、姉妹盤“Teresa Berganza sings Rossini”もお気に入り。

モーツァルト サリエリのオペラ“ヴェネツィアの市”の中の
“わが愛しのアドーネ”による6つの変奏曲 Kv.180

  ワルター・ショダック
  LE CHANT DU MONDE(仏)

情熱ほとばしるショダックの演奏が最高。原曲については諸説あるようですが、この演奏を聴くと、間違いなくイタリアの歌! …って気がします。NS-1000Mのときはあまり聴かなかったのですが、ESL-63にしてからは頻繁に聴くようになりました。陶酔しきって、汗を散らしながら弾いているのが目に見えるようです。響きの良いホールで、しかしオンマイク気味でホールトーンを抑えめにしたピアノの録音が、GT-CD1+C-2x+B-2x+ESL-63の組み合わせには向いているのではないかと思います。

モーツァルト ピアノソナタ Kv.333
  内田光子
  フィリップス

ピアノ・ソナタにも好きな曲が多く、中でも最も好きなのがこれ。いろんな盤を聴きましたが、内田光子さんのが最もリズムが正確で、この曲の良さを引き出していると思います。…といいつつ、ホロヴィッツ盤(録音風景がTV放映されたKv.488とのカップリング)の、ろれつの回らなさもまた楽し、です。NS-1000Mのときはしょっちゅう聴いていましたが、ESL-63にしてからは聴く機会が減りました。フィリップスがモニターに使っていたスピーカーのくせに、どうも私のESL-63はフィリップス盤とのマッチングが良くないようです。パワーアンプまでの機器が全然違うからでしょう。私が持っているフィリップス盤の中で最もうまく再生できるのは、ヘブラーの戴冠式だったりします。ズンドコズンドコうるさい鳴り方ですが…。

モーツァルト 歌劇“魔笛” Kv.620
  ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ、リサ・オットー、他
  カール・ベーム、ベルリン・フィル
  ドイツ・グラモフォン

モーツァルトのオペラは、魔笛、フィガロの結婚、ドン・ジョバンニあたりが好きです。フィッシャー=ディスカウのパパゲーノは明らかにミスキャストで、あんなにかしこまったしかめっ面のパパゲーノは、録音だから許されたという感じです。ただ、私の現有装置とのマッチングは最高で、パパゲーノとパパゲーナの“パ・パ・パ”など、とてもうまく再生してくれるので、ときどき大音量で、口の動きが見えるかのような錯覚を楽しんでいます。こういう聴き方には、生真面目なフィッシャー=ディスカウの歌い方が適しています(笑)。

モーツァルト ディベルティメント Kv.563
  デーネシュ・コヴァーチュ、ゲーザ・ネーメト、エデ・バンダ
  HUNGAROTON HRC072

機会音楽として作曲されたモーツァルトの一連のディベルティメントシリーズとは違い、これはバイオリン、ビオラ、チェロによる三重奏曲。第一、第三、第六のアレグロ楽章がとくに好きです。グリュミオー・トリオのフィリップス盤も持っていますが、こちらのほうが断然お気に入りです。やはりフィリップス盤との相性が良くないのか、元々オンマイク気味の録音が好きなのか…。しかし、NS-1000Mではそこそこうまく鳴っていたのに、ESL-63ではやはりダメです。バイオリン、かく鳴るべし…という要求が高すぎるのかもしれませんね。今の自分の装置に、バイオリン属の楽器の、胴体の木目や艶っぽい色合いが見えるような鳴り方を期待するのが無理なのかもしれません。

モーツァルト ディベルティメント Kv.439b
  カールマーン・ベルケシュ、イシュトヴァーン・マリ、ジョルジ・ホルトバージ
  HUNGAROTON HCD 11985-2

2本のクラリネットとファゴット(または3本のバセットホルン)のためのディベルティメント。1番から6番まであり、それぞれ5楽章からなるという説や、6番を除外した25曲の小品集とする説など、曲の成り立ちや構成に関しては諸説紛々。でも、そんなことはどうだっていいと思わせる、ケーゲルシュタット・トリオに通ずる楽しさに溢れ、しかも、もっと肩の力を抜いた気軽な小曲の集まり。独墺の民謡っぽい旋律なんだけど、どこか東方の騎馬民族の影響を感じるぞ…などと考えながら、よく聴いています。

モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク Kv.525
  ウィリー・ボスコフスキー、ウィーン・モーツァルト合奏団
  デッカ

幼稚園の頃から現在まで、やっぱりこれは欠かせません。レコードもCDも、いろんな奏者のを聴きましたが、これに優る名演奏はないと思います。ちょうど音楽CDがこの世に現われた頃、キングレコードが最後にプレスしたボスコフスキーのディベルティメント/セレナーデシリーズを、各地のレコード店を回って買い漁ったのを思い出します。ボスコフスキーの罪は、モーツァルトのディベルティメント、セレナーデ、舞曲、行進曲に関して、一度聴いてしまうと、他の奏者のを聴こうという気にさせないことです(笑)。CDになってからは、再びキングレコードが販売した舞曲/行進曲の8枚組と、ポリドールに移ってからのセレナーデ/ディベルティメントの9枚組に、かつて買い漁ったレコードに入っている全曲が収められていますが、CDのセットってのは、買うのも持ってるのも、なんだか味気なくていけませんね。

Strauss Waltzes 2枚組
  ウィーン・フィル、ウィリー・ボスコフスキー
  デッカ 443 473-2

デッカの12枚組から、有名なワルツだけを取り出して2枚に収めたのがこれ。現有装置での鳴りっぷりはイマイチで、もっぱら仕事中のBGMとして流しています。

あ〜、しかし、こんなの書き出したらキリがありませんね。愛聴盤を含む音楽の話は、いずれ別項にまとめてみたいと思っています。




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