街を貫流するブリガッハ。 (JPEG 37.8KB)
「これはブリガッハ。
この少し先でブレックが合流し、ドナウが始まる……」


フランクフルトの空港を出て以来
久しぶりに聞く流暢な英語だった。
ドナウの源流を訪ねてシュヴァルツヴァルトまで来て
3日めにしてようやく人に聞いてみようという気になったボクに
橋の上をたまたま自転車で通りがかった少年は答えてくれた。

少年の言葉の意味はよくわかった。
つまり、黒海からドナウエッシンゲンまでがドナウで
ここから上流はドナウではないか
少なくともドナウとは呼ばない支流だということだ。
とにかくこれで、ドナウの起点ははっきりした。

だが、ウィーンやブダペストで見た、あの悠々と流れるドナウを
ほんのか細い山あいの渓流までさかのぼり
できることなら岩の間から浸み出る最初の一滴までをも
この目で確かめたいという衝動は
『そこでドナウが始まる』ブリガッハ川とブレック川の合流点に
たどり着いたところで満たされるものではない。

Here the Donau bigins。 (JPEG 52.9KB)
やはりボクには、かの『美しく青きドナウ』の歌詞のとおり
ドナウはシュヴァルツヴァルトに
みなもとを発していなければならなかったのだ。

ドナウエッシンゲンの町外れ
ちょうど国道27号線の橋の下あたりで始まるドナウは
そこではもう、緑の堤を横たえた、いっぱしの中級河川だった。
国道を走る車の騒音と、その下にある川の大きさに
こころざしを打ち砕かれたボクはしかし
なかばあきらめつつ川面に下りて上流を眺めた瞬間
ここをドナウの起点に定めた古代人の分別を感じさせられた。
双子。そう呼ぶのがぴったりのブリガッハとブレックだった。

幅も深さも、まるで申し合わせたような2本の流れは
これまたどちらが率先するともなく平均に
おだやかに融和して1本の流れとなっていたのである。
左手のブレックが草満ちた河原の向こうに消え入る
のどかな流れであるのに対し
右手のブリガッハがうっそうと繁る木々の中から現われる
静謐な流れであるのが
ここから見きわめられる限りの両者の違いといえる。

合流直前のブリガッハ。 (JPEG 36.1KB)
ボクの立っていた真正面、両側を川に挟まれた木立ちの先端に
流れゆくドナウを見守るかのように建てられた母子像が見えた。
浅瀬を渡ってその脇まで這い上がると、礎石には

『愛する郷里・ドナウエッシンゲン
イルマ&マックス・エゴン
金婚式の記念に
1939年6月19日』

…と刻まれていた。
エゴンなる人物については未だに何の手がかりもないが
愛する者にとって、この場所こそ
ドナウエッシンゲンそのものなのだと
後に気づかされることになる。

合流点を確認したボクは、近くのパーキングエリアまで引き返し
車で町の中心部に乗り入れた。
そこには、ほとんど予想どおり、小さな広場があって
それに面して教会が建てられおり
何軒かの商店と銀行や郵便局のオフィスが集まるという
ドイツのどこにでもありそうな田舎町の中心の景色があった。

Donaueschingenの中心街。 (JPEG 43.2KB)
ただ、予想をはるかに越えて
それらの建物はカラフルで清潔。
まるで映画のセットに迷いこんだような
錯覚に、一瞬ボクはとらわれた。

ブリガッハ川のほとりにあるここはまた
シュヴァルツヴァルトの南東のすそにあるため起伏が多い。
ゆるやかではあるが
中心街は坂道に取り巻かれている。
そんな坂道のひとつを歩きながら
途中にカフェテラスを見つけたボクは
広場を下に見ながら遅い昼食をとることにした。

タマゴやらハムやら野菜やらが
あふれんばかりに盛り付けられた皿の底から
申しわけなさそうにひと切れのパンが顔をのぞかす
それでも名前は『何とかトースト』という料理をたいらげた後
ボクは、川に向かう坂道を下りて行った。
別に、はっきりした目的があったわけではない。
ただ、もう一度、ドナウエッシンゲンという町を横切る
川のようすを見ておきたかったのだ。

城と泉への入り口
教会の裏手をぐるっとまわるようにして
川沿いの低い土地に降りると
そこから砂利敷きになった小径は
大きな庭を囲うような感じの生け垣に添って
あらぬ方向へ旋回をはじめた。

なおも進むと、そこに突然簡素な造りの門が現われ
その前で分れた小径の一方は
ゆるくカーブしながら門の奥へと消えていた。
表札はなかった。
そのかわり『シュロス/ドナウクヴェレ』と書かれた
小さな標識がぽつんと立っていた。

ひとりで旅をしていると、ごくまれにではあるが
ふと、妙な気分に襲われることがある。
初めての土地なのに、前に来たことがあるような気がしたり
急に景色から話しかけられたような気がする
不思議な感覚だ。

そんなときはたいてい
鼓動が速まっていたり喉が渇いていたりするものだが
このときのボクも、まさにそういった状態だったのだろう。

W.A.Mozartも滞在した。 (JPEG 38.7KB)
カーブの向こう側に吸い込まれるように早足で進み
色深く繁った木の枝ごしに空を見上げたとたん
信じられない光景に遭遇した。
『シュロス(=城)ったって、どうせたいしたものじゃない』
…という予想を完全にくつがえす
それは途方もない、見る者を圧倒する巨大な物体だった。
正面にまわってみると
石造5層、幅100m はあろうかと思える壮大な城。
人の気配がまったくないだけに、よけいに気味が悪い。
畏敬の念と恐怖の感情は、確かに、ここでのボクにとっても
表裏一体のものであるらしかった。

その、正確に左右対称に建造された城の中心軸に沿って
これまた対称に配置された植え込みを裁ち分けて延びる空間は
ブリガッハの清流づたいの並木道に突き当ったところで
かなり唐突な終わりかたをしている。
いや、それは終わりなどではなく、この庭は単なるアプローチで
並木の向こうの、遠く黒海にまで連綿と続く水路が貫く大地こそ
この城のあるじが欲した庭園なのではなかったか…。
そんな想像にふけりながら植え込みの中を散策していると
小型の円形劇場のような場所に出た。

創話上のドナウの源。 (JPEG 47.9KB)
劇場の中は直径5m ほどの空洞だった。
バルコニーに立って中をのぞくと、下のほうには水が溜まっており
底からは絶え間なく気泡が立ちのぼっている。

『ドナウクヴェレ』
傍らの解説板によると、この泉こそドナウのみなもとであり
古来、この泉から湧き出た水は城の脇を通過し
約2kmにわたってブリガッハ川と平行に流れ
ブリガッハとブレックが交わって
ドナウと呼ばれる1本の川になる地点に達していたのだが
1820年に城館が改築されたときに
地下水路で直接ブリガッハに注ぐように
誘導されたということだ。

解説はさらに、ローマ時代にはすでにこの泉は存在し
皇帝らの訪問を受けたとか
この町は500〜600年間にもわたって
アレマンネン人の集落として存在し
エスコ・アン・デル・ドナウと呼ばれていたために
ドナウエッシンゲンと名づけられた…などと続くのだが
そんなことはもう、どうでも良かった。

国道の橋にあった標識。
ボクは、古代ドイツの一民族で、南西ドイツやスイスに住んでいたといわれる
アレマンネン人が、エスコ・アン・デル・ドナウと呼んだこの町で
自分を襲った不思議な感覚にただ酔い痴れながら
もうひとつの看板に4か国語で書かれた一節に心を奪われていた。
ブルガリアのとある協会から贈られたその看板には、こう書かれていた。

AT THE SPRING OF OF THE DANUBE
THE GLORIOUS RIVER
THAT LINKS BULGARIA TO THE HEART OF EUROPE


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