カルロヴァッツまでの道にも 
いくつか同じようなレストランがあった。 
どこもけっこう賑わっている。 
ちょっと高級そうな店にはドイツナンバーの車も停まっている。 
このあたりも、かつてユーゴスラヴィアだった頃と 
ほとんど景色は変わっていない。 
何台もの遅い車を抜き、何台もの速いクルマに抜かれ 
あたりが暗くなりはじめた頃、ようやくカルロヴァッツに着いた。 
平原の中にできた、ひろびろとした街だ。 
 
カルロヴァッツから先には高速道路がある。 
入り口は無人化されていて 
自動発券機からチケットを引き抜くと目の前の遮断機が上がる。 
制限速度は120km。平均的なクルマの流れは130kmくらい。 
ボクもここではあまり飛ばさず、140km程度で巡航する。 
中にはBMWの5シリーズやプジョーの605など 
とんでもなく速いクルマがいて 
まるでドイツみたいに飛ばしている。 
この区間、道路にはほとんどカーブやアップダウンはない。 
ただひたすら、平原の中を突き進むといった感じの道なのだ。 
 
ザグレブに入る手前に料金所がある。 
クロアチアディナールを持っていなかったので 
「ドイツマルクでいいか?」と聞くと 
もちろんOKだった。 
今度はディナールでおつりをもらうことができた。 
 
  
  
  
 | 
クロアチアの25ディナール札。 
実寸は110mm×62mmと小さい。 
独立後、最初に発行されたのは 
このクロアチアディナールだったが 
その後、デノミが行われたらしく 
96年夏に訪れたときは 
ドイツマルク新紙幣に似たデザインの 
クーナ(Kuna)に変わっていた。 
 | 
 
 
 
ザグレブもお気に入りの街なのだが 
今回は立ち寄らないことにして 
市街地に入る手前の分岐を東に向かい 
少し行ったところから北に向きを変え 
ハンガリーとの国境を目指す。 
ここで北に向きを変えず、そのまま東に進めば 
ジェリカの実家のあるシサック(Sisak)や 
その先のベオグラードなどに道は通じている。 
 
  
 | 
 
カルロヴァツから先は 
ユーゴスラヴィア時代から 
有料の高速道路が開通しており 
ザグレブまでは約40km。 
ザグレブから北に向かう道には 
スロヴェニアのマリボル(Maribor)を経て 
オーストリアのグラーツに向かう[M11]と 
ハンガリーに向かう[M12]の2本がある。 
ベオグラードまでは381kmあるが 
グラーツまでは176km。 
ウィーンまででも363kmしかない。 
 | 
 
 
 
ハンガリーを夜間に通過するため 
クロアチアでガソリンを入れておいたほうがいい。 
北に向かって走りだしてすぐ 
開いているガソリンスタンドを見つけた。 
ガソリンの無鉛化は、ヨーロッパではドイツが早く 
他の国はやや遅れていた。 
 
9年前は、ユーゴスラヴィアで無鉛ガソリンを入れようとすると 
ガソリンスタンドを何軒か探さなければならなかったが 
今回は、どのスタンドにも 
ちゃんと無鉛ガソリンがあった。 
以前のような、外貨でチケットを買わないと 
給油できないシステムも、今はない。 
 
  
 | 
 
ユーゴスラヴィア時代の 
ガソリンチケット。 
ユーゴスラヴィア領内で 
外国人が給油するためには 
ホテルやツーリストインフォメーションで 
外貨で払ってこのチケットを買わないと 
給油してくれなかった。 
 | 
 
 
 
ヴェネツィアから446km走って、39.41リットル。 
1700ディナール/リットルで67,000ディナールだ。 
「ドイツマルクで払いたい」と言うと 
店員は電卓を叩き、液晶に現われた数字を見せてくれた。 
39.00DMだった。約1マルク/リットルだから 
ドイツよりかなり安い。 
ま、これはドイツマルクが 
クロアチアディナールに対して強いということだから 
単純な比較はできないが 
ドイツ人が大挙してやって来る理由のひとつではある。 
 
給油を終え、なおも北上を続ける。 
あたりはもう真っ暗だが、交通量は多い。 
小さな町をいくつか抜け 
小高い丘の上にある他よりちょっと大きな町に入ると 
4〜5人の若い女の子のグループや家族連れ、老夫婦など 
道の両側に、急にたくさんの人影が見えるようになった。 
町の中心に向かうにつれて人の数は多くなる。 
 
何だろうと思いつつ街の中心にさしかかると、フィエスタだった。 
教会の横の空き地に張られたテントに 
多くの人間が群がっていた。 
ちょっと行きすぎたところでクルマを停めたボクは 
歩いてテントに引き返した。 
 | 
 
 
 |