パッサウの手前50kmくらいのところから
道は再びドナウと合流する。
両側には山が迫り、川岸の林がそのまま森につながっている。
道は狭く、交通量は少ない。
木洩れ日のまぶしさと林の中に漂う空気の冷たさのコントラストが
運転しているボクを、実に爽快な気分にしてくれる。
“ここは1日じゅう朝なんじゃないか”って感じだ。
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あまりにきれいすぎて
写真を撮れないってことは
ときどきある。
このときもそうだった。
どっちを向いても美しく
目に見えているけしきの
どの部分を切り取ろうかと
迷いだすと、もう
写真など撮れなくなってしまう。
…というわけで、この写真は
残念ながら『激走』の
途中で撮ったものではない。
だが、雰囲気も場所も
ここに書いたパッサウ近くの
ドナウ沿いに非常に近い
Wolfgangseeに面した
St. Wolfgangの街と教会。
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こちら岸にも向こう岸にも、ところどころに狭い平地があり
教会や城を中心に、数十軒の民家が寄り集まっている。
窓から垂れ下がるペチュニアやアイビーゼラニウムが
とうとうと流れるダークグリーンのドナウの川面に
赤紫や朱色の光の点を落としている。
ときおり、川めぐりの観光船や
船体のほとんどを水面下に沈めた貨物船が
舳先にいろんな国旗をなびかせて通過する。
道端に[Zollamt]の標識が見えたかと思うと
林の中に、唐突にドイツとの国境が現われた。
すぐ先に、パッサウというそこそこ大きな街があるというのに
オーストリア側には建物1軒、電柱1本さえない。
ミュンヘンからザルツブルクに入るときは、この逆だ。
国境を越えたらすぐザルツブルクなのに、ドイツ側には何もない。
やはり、元々オーストリアとドイツの間には
国境がなかったからだろうか…。
一応警備員のいるボーダーを通過し
久しぶりにドイツに入った。
ドイツに入るとすぐにパッサウの街だ。
道は自然と旧市街に入り、アウトバーンを示す標識に導かれつつ
右に左に複雑に曲がりながら
壁を色とりどりに塗られた、南ドイツならではの町屋を縫って進む。
濃い黄色地で黒文字の標識に、ドイツに戻ってきたことを実感する。
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ドイツの案内標識は
アウトバーン上では青地だが
一般道では黄色地で
アウトバーン関係が
青で表示される。
写真は一般国道のもので
その大きさに驚かされる。
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ぎりぎりまでオーストリアにいたため
とにかく、標識にある
アウトバーンマークの方向に進むしかなかった。
アウトバーンに乗るには
街のどこかでドナウを渡らなければならない。
青い標識に従って進むと街外れに出、吊り橋でドナウを渡った。
欄干には[ヨハン・シュトラウス2世橋]という
プレートが埋め込まれていた。
“美しく青きドナウ”の作曲者の名を冠する橋は
生まれ故郷のドイツから
流れの先にあるウィーンを眺めているのかもしれない。
アウトバーンの乗り場は
ドナウの対岸を少々さかのぼったところにあった。
パッサウからフランクフルトまで、約430km。
フランクフルトに9時45分までに着くためには
そろそろ出発しないとマズい時間になっていた。
夏のヨーロッパでは、明るさのために時間の感覚が狂ってしまう。
陽光はまだ昼下がりの強さだったが
時計はもう午後4時をまわっていた。
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国境の街・パッサウから
ニュルンベルクまでは約200km。
途中のレーゲンスブルクまでは
ドナウ川に沿い、その後は
ゆるやかな丘陵地帯を
[A3]に乗ったまま駆け抜け
一路フランクフルトを目指した。
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幸い、パッサウからのアウトバーンは空いていた。
レーゲンスブルク、ニュルンベルク
ヴュルツブルク、フランクフルトと
ただひたすら[A3]を西に向かうルート。
レーゲンスブルクまでは、松の木がまばらに生えた
やや乾いた感じの丘陵地帯を縫っていく。
ドイツも、このあたりの田舎になると
フランクフルトやミュンヘンのような大都市近郊みたいに
メルセデスやBMWの高性能セダンで
かっ飛んで行くオヤジは見当たらない。
角張った草色のオペル・レコルトや
シルバーの80年代初期のアウディ100なんかが
初めてアウトバーンを走った頃を思い出させてくれる。
最初空いていたアウトバーンも
ニュルンベルクの手前あたりから交通量が増えてくる。
と同時に、平屋の家の壁くらいある大きな標識の一番下に
[Frankfurt]の文字が現われる。
ドイツのアウトバーンの標識は完璧だ。
あとは[Frankfurt]の文字を頼りに走れば
誰だって、網の目のように張り巡らされた高速道路網を駆け抜け
簡単にフランクフルトにたどり着ける。
最初 228 だった数字は、次に 222 になり
190、168、159 …と、おもしろいように減っていく。
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