スペインGPでのクリビエは、闘牛士だったのかもしれない
(ライディングスポーツ 96年8月号)

                         
  先月号のスペインGPの原稿は、決勝翌日にスペ 
 インのホテルで書いた。12日のレースを取材して日 
 本に向かうと、成田に着くのは14日の早朝。24日発 
 売のライディングスポーツの場合、それから原稿を 
 書く時間的余裕はほとんどない。というわけで、翌 
 日現地で原稿を書き、電子メールで送信するという 
 スケジュールになった。             
  通常、雑誌のページは、写真を選び、文字数を決 
 めてからレイアウトをする。だが速報の場合は、先 
 に写真の点数と大きさ、文字数などを決めてレイア 
 ウトする。そして後から枠に合わせて写真を選び、 
 文字数に合わせて原稿を書くのだ。これを『先割り』
 と呼ぶ。本誌では例外的だが、日本GPや8耐速報 
 号は、ほとんどのページが先割りで作られる。   
  原稿を書き終え、イタリアに向かって移動する途 
 中、とあるバールで夕食を食べた。高速道路や幹線 
 道路から離れた、とんでもない田舎にある小さな町 
 の、日本でいえば大衆食堂に当る飲食店だ。店に入 
 って間もなく、TVで闘牛が始まった。そういえば 
 闘牛って、スペイン名物の一つだったよな……と、 
 最初はのんきなことを考えながら、オリーブの実を 
 アテにビールを飲んでいた。           
  闘牛そのものにはほとんど関心はなかった。とい 
 うより、イギリスのキツネ狩りと同じく伝統的イベ 
 ントとしての存在価値は認めるが、動物を虐待する 
 見世物は好きではない。しかし、場違いな東洋人の 
 そんな気持ちをよそに、いつしかバールはTVを見 
 にきた客で満員になった。みんな、夢中で闘牛を観 
 戦していて、食事どころではない。        
  きらびやかな衣装に返り血を浴びながら闘う闘牛 
 士の一挙手一投足に、闘牛場を埋め尽した観衆は沸 
 き、バールの客はTVに向かって声援を送る。スペ 
 インでは今でもなお、闘牛士は国民的英雄なのだ。 
 現代のイベントでは、どう見ても牛より闘牛士に有 
 利な状況で競技が行われているみたいで、胡散臭さ 
 はあるものの、歌劇カルメンのドン・ホセなどの時 
 代には、本当に命がけの勝負だったのだろう。   
  TVに映し出される闘牛士の姿と観衆の熱狂ぶり 
 を見ながら、ボクは500の決勝を思い出した。あ 
 のときのクリビエは、ひょっとすると闘牛士だった 
 のではないだろうか。最終ラップの最終コーナーで 
 ハイサイドを起こして転倒するまでの間、ドゥーハ 
 ンやカダローラとトップ争いを演じ、レースのほと 
 んどをリードしていたクリビエは、猛牛との闘いを 
 重ねるほどに人気を高め、ピークに達したところで 
 命を落とした闘牛士ではなかったのか……。    
  確かに、タイトルを目標にチャンピオンシップを 
 闘っていくうえで、1戦を落とすのは痛い。でも、 
 あれほど多くの観衆を熱狂させられるのは、スペイ 
 ンGPで500のトップグループに加われる実力を 
 持ったスペイン人ライダーしかいない。      
  レースの後、クリビエ本人はともかく、他のチー 
 ムが、まるで口調を合わせたように、コースになだ 
 れ込んだ観衆とそれを制止できなかったオフィシャ 
 ルを非難していた。だがそれは、高みの見物をする 
 よそ者の感覚だ。                
  あのときボクは、ヘレスの中でも最も熱狂してい 
 るコーナーにいた。2個続くタイトな右コーナーの 
 アウト側を円形競技場のように観客席が取り巻いて 
 いるところだ。決勝の終盤、そこは確かに、500 
 のレースをする環境ではなかった。狂ったような観 
 衆の絶叫が響きわたり、レーシングライン上で爆竹 
 が炸裂し、煙を上げていた。           
  それを見ながら、ボクは、100%以上の力を発 
 揮するクリビエと、それを必死で応援する観客を、 
 本当にうらやましいと思った。みんなといっしょに 
 騒ぎたい気持ちだった。原稿には書かなかったその 
 気持ちを、WOWWOWの実況中継を見た編集担当 
 の浦川クンが、最後のページのリードでフォローし 
 てくれた。『人間をこれだけ熱狂させる何かが、ス 
 ペインのグランプリには存在する』のだ。     
                         


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