28 クロアチアのボーダーとリエカの街


クロアチア側のボーダーに、国境らしい建物はなかった。
道端にある何個かのコンテナハウスが
イミグレと税関のオフィスだった。
あたりの空き地には
建築用資材らしきものが山積みされているが
見ようによっては瓦礫の山にも見える。
国境にふさわしい建物の建設は
途中で何ヵ月も放置されているようだ。
係官は、遮断機の設けられた未舗装の路上で検問をしている。
クロアチアから出国しようとする車は長蛇の列。
荒涼とした景色に緊張が高まる。


スタロッド〜リエカ間は30km弱。
イストラ半島基部の峠を越えると
道はリエカ湾に向かって下る。
海に出たところで
左に向きを変えれば
リゾートタウン、オパティヤ。
まっすぐ行けば
ほどなくリエカの街に入る。


わずか数百メートル手前の
スロヴェニアのボーダーとのあまりの違いに
両国のおかれた立場の差を感じないわけにはいかない。
“この先の通行の安全は保証されているのだろうか?”
ふと、不安がよぎる。
だが、入国には何の問題もなく
パスポートにスタンプを押しただけで遮断機を上げてくれた。



クロアチアに入ってすぐ、道端に
50×100cmくらいの、キノコの絵を描いた看板が立っていた。
近づくと、道端の空き地で老婆が二人、キノコを売っていた。
クルマを停め、歩いて引き返すと
パラソルの下の小さな木箱に乗ったカゴの中に
ハッタケとシメジが入っていた。
英語で話しかけると
老婆たちは困ったような顔をして首を横に振った。


看板とパラソルだけを
日当たりのいい道端に置き
日陰で休みながら
いつ来るとも知れぬ
客を待つ老婆たち。


身振り手振りにドイツ語の単語を交えて
日本から来た観光客で、キノコを買う気はないこと
そして、地面に数字を書いて
以前にも何度かここに来たことを伝えた。
リエカ、ザグレブ、オパティヤ、ザダールなど
行ったことのあるクロアチアの地名を並べると
ようやく老婆たちの表情が和らいだ。

手のひらを胸に当て「いっひ りーべ フルヴァツカ」と言うと
二人ともニコニコ顔になった。(^_^)(^_^)
別れぎわに「フヴァーラ・リイェポ、ナ・スビダーニャ」と
セルボ=クロアチア語であいさつしたら
ひとりは「グーテ ライゼ」
もうひとりは「トゥット ベーネ」と見送ってくれた。


老婆たちと別れて
しばらく走ると
急に道は新しくなり
目の前にリエカ湾が広がった。
湾の向こうには
ダルマチアの山々が見える。


ここから先、道はアドリア海に向かって徐々に下っていき
海岸に出る手前を左に曲がればリエカ
右に曲がれば、アドリア海岸随一のリゾートタウン
オパティヤに通じている。
ボクはリエカの街が好きだった。
クロアチア最大の港町で
同国第2の都市であるリエカには、観光名所がない代り
港町ならではの、活気にあふれた人々の生活があったのだ。
果たして今回は…?

クロアチア独立以後初めて訪れたリエカの街は
以前と何ら変わっていなかった。
オパティアからリエカまで続く海沿いの並木道には
以前と同じように散策を楽しむ人々の姿があったし
街の中心の、リエカ港に面した海岸通りの
昼なお暗い街路樹の下で営業しているカフェも
そばのバス停の人ごみや
その脇の歩道上にあるキオスクの賑わいも
すべて昔のままだった。


旗が並ぶリエカの海岸通り。
右手がリエカ港で左手が官庁街。
この道をまっすぐ行ったところに
内陸をザグレブ方面に行く[M12]と
海沿いにザダール
スプリットを経て
ドブロブニクに達する
[M2-E65]の分岐がある。


変わったことといえば
海岸通りの中央分離帯に、いくつも並んだ大きな旗の束が
ユーゴスラビア国旗ではなくクロアチア国旗になったことくらい。
政治体制が変わり、国が変わっても
街は相変わらず美しく、人々の生活は活気に満ちていた。

海岸通りの端、フェリー乗り場の入り口に
クルマを停めたボクは
そこにいたクルマのドライバーに話しかけてみた。
彼の車は、プジョーの205。
ややくたびれてはいるが、現行モデルだ。
リアウィンドゥには“HR”のステッカーが貼ってある。
“HR”というのは“Croatia”を
セルボ・クロアチア語で表記した“Hrvatska”のイニシャルである。

ボクは、自分が以前、何度もリエカに来たことがあり
クロアチアとリエカの街が大好きで
今回は仕事の合間に街のようすを見にきたことなどを話した。
隣国との戦争のことを質問すると
「もっとむこうの海沿いを中心に Some Fighting はあるが
このエリアでは Fighting はなく
みんな平和に暮らしている」という返事。
ザグレブを経てハンガリーに至るルートも
通行には何の支障もないだろうということだった。

大好きなリエカの海岸通りをしばらくぶらぶらしたボクは
クルマに引き返し、北に向かって走りはじめた。
時刻は午後7時をすぎていた。