38 ブダペストをかすめてウィーンへ


景色がどんどんオーストリア的になってきて
なぜか安心したボクは、シオフォクから先の道を急いだ。
ここからブダペストまでの100kmちょっとの区間には
ブダペストを中心に四方に延びる高速道路のうち1本が通じている。
チェコと同じく、この国でも高速道路は無料。
制限速度は、高速道路上が120km
一般道は郊外が100km、市街地が50kmだ。

ちょうど通勤時間にぶつかったため
高速道路上では車が数珠つなぎの状態。
全車、ヘッドライトを点けている。
雨が降ればもちろん、曇りの日の早朝や夕方など
かなり明るくても必ずヘッドライトを点ける。
これもオーストリアと同じだ。

走っている車の速度は2種類。
走行車線の100km/h前後と追い越し車線の130km/h前後。
登り坂で3車線になったところだけ
100km/hに満たない車を抜かそうとする車が
追い越し車線に出たり
130km/hじゃ我慢できない高性能車が
左の方向指示器をつけっぱなしにして
最も中央寄りの車線をすっ飛んでいったりする。

車種の豊富さでは、今のハンガリーにかなうところはない。
ボディーの一部に紙を使った、旧東独製のトラバント
名前からして東独製?と思えるヴァルトブルク
チェコスロヴァキアのスコダ
ユーゴスラヴィアのザスタバ、ソ連のラダなど
東欧ならではの古めかしい車に混じって
フォルクスヴァーゲン、アウディ、オペル
ドイツフォード、プジョーなど
ドイツやフランスの車も、新旧いろんなのが走っている。

お腹が空いていたのを思い出して
適当なところでサービスエリアに入った。
サービスエリアの売店は
通勤途中に朝食をとる人たちで賑わっていた。
カウンターで食べ物と飲み物を注文し
まわりのテーブルや外のベンチで飲んだり食べたりする方式だ。

食べ物は3種類しかない。
スライスしたハムかチーズを
長さ20cm程度の固いパンに挟んだサンドイッチと
甘くない生クリームがたっぷり載った
しっかり甘いケーキだ。(味は想像)
他の国でもそうだが、ミックスサンドはなかなかない。
チーズも美味しそうだしハムも食べたいという場合は
両方頼むしかない。
飲み物は、もちろんコーヒー。
大きなカップに入ったウィンナーコーヒーが出てきた。

腹ごしらえができたボクは、売店を覗いてみた。
どこのサービスエリアにもある菓子
飲み物、みやげものに混じって
クルマの部品がたくさんある。
バッテリーやワイパーなどは、日本でも珍しくないが
シリンダーヘッドガスケットやカムシャフトや
ピストンなんかがあるのには驚いた。
ピストン交換なんて、1日がかりでやっとできる作業だ。

かつての東欧のクルマは
1社で何種類ものバリエーションを作ったりせず
ちょっとくらい外観は違っても
基本的なパーツは共用していたから
膨大な在庫を抱えなくても商売になったのだろう。
さすがに道端でエンジンを降ろしているのは見たことがないが
シリンダーヘッドを開けたり
ラジエターを外している光景は、よく見かける。

サービスエリアから出ると、急に眠たくなった。
我慢して運転していると
ブダペスト方面とウィーン方面の分岐にさしかかった。
ブダペストに行きたい気持ちをぐっとこらえて
ウィーン行きの高速に乗り換えた。時計は8時10分前。
天気は目まぐるしく変わり
雲の切れ目から朝日が差し込んできたかと思えば
ちょっと走るとにわか雨になったりする。

さっきまでの混雑がうそのように、道は空いている。
(H)マークのトラバントが“ぽろぽろぽろぽろ…”と
のどかに走っている横を
(A)マークのメルセデス・500SLが“シュ〜ッ”と
タイヤの音と風切り音を残してすっ飛んで行ったりする。
“壁”崩壊以後、各地で追突事故が多発した原因が
わかったような気がした。


シオフォク〜ブダペスト間約105kmは
高速道路[M7]が通じている。
これに乗ってブダの近くまで行き
市街地に入る手前で
西に延びてジェールに達する
高速道路[M1]に乗り換えた。
ジェールまでは約120km。
オーストリアはもうすぐそこだ。


途中のサービスエリアで少し寝た。
その間に、天気は完全に回復し
起きたときは雲ひとつない快晴になっていた。
西に進むにつれて、道端に自生する花が現われる。
ケシの赤やラベンダーの紫が
印象派の絵のように、風景に彩りを添える
日本とは違い、ヨーロッパの高速道路は高架や切り通しが少ない。
都市近郊や海岸沿いを除くと
だいたいは、ゆるやかな地形に忠実に、地表をなぞって進んでいく。

だから、高速道路といえども、道端には空き地があり
両側に畑が広がっているところが多い。
このあたりでも、ブダペストまでの道と同じく
トウモロコシや小麦の畑の中を進んで行く。
ときおり現われるヒマワリ畑の黄色が目新しい。

ブダペストからの高速は
ジェール(Gyo"r)の街の手前で終わっている。
ジェールまでくると、中心街の古い建物だけではなく
郊外の民家の造りもオーストリア的になる。
頂点(鬼瓦の載る位置)に大きな面取りをした屋根の下に
白い木枠の大きな窓を持ち
白いレースのカーテンとゼラニウムのプランターで飾った窓が多い。

ここからオーストリアに入って20kmほど先までの区間は
国境までは右側に、国境をすぎてからは左側に
みやげもの屋が立ち並ぶ一般道を走る。
どちらも、これから出国する観光客に
その国の特産物を売る店である。
ハンガリー側では、果物、毛皮、木工品
ピクルス、ジュース、野菜などがメインだ。
こういった屋台が延々何kmにもわたって続く光景は壮観だ。
“壁”崩壊以前は、一般人にとって最も簡単に出入りできる
東西間の窓口だったからだろう。

10時30分。ウィーン〜ブダペスト間の陸路の中継点
ヘジェシャロム(Hegyeshalom)のボーダーに到着。
入国のときに撮った写真を貼った書類とパスポートを渡すと
係官は、書類を備え付けの箱に放り込み
パスポートには手持ちのスタンプマシンでハンコを押した。
このスピーディーな仕事ぶりはなかなかいい。
“クロアチアからの入国のときの厳重さは
一体何だったの?”って気になる。

オーストリアへの入国には何の取り調べもなく
約800kmの東欧の旅は終わった。
19時間で3ヶ国をまわるという、超駆け足のドライブではあったが
楽しい出会いがいっぱいの旅だった。