60 アルプスの山々を眺めつつ

モントルーから先のレマン湖は
湖岸ぎりぎりまでアルプスが迫り
岸に沿ったほんのわずかな平地に
一般道と鉄道が通っているため
オートルートはその上の断崖からせり出し
長い橋脚に支えられた棚のようなところを走っていく。

ガードレールが低いので
湖側の走行車線からは
ほとんど真下にレマン湖が見える。
ところどころ、湖に突き出す岬の上に
湖水に基礎を洗われるように建つ
古びた城館が見えたりする。

町から遠く離れたところにあり
鉄道や国道の開通以前には
ほとんど人が来なかっただろう場所である。
一体何のために造った建物なのだろう…?
もちろん、人の気配はない。

そんなことを話しながら走っていると
道はやがてレマン湖から離れ
ローヌ川に沿った細長い谷底のような地形の中を
珍しく高架で進むようになる。
下にはコンクリート工場や製材所が見える。
スイスに入って初めて見る工場地帯だ。

アムステルダムを出て約1000km。
Martignyに来てようやく、われわれは高速道路を降りた。
ユングフラウやアイガーのあるベルナーオーバーラントと
モンテローザやマッターホルンなどあるヴァリス山群の間を
両側からの雪溶け水を集めながら南西に流れてきたローヌ川が
正面のモンブラン山群に阻まれて
北西のレマン湖に向かって
直角に向きを変えるところにマルティニの町はある。


モントルーの手前の
急な峠道を下ると
眼下にレマン湖が広がり
オートルートは
右(西)へ向かう[N1]と
左(東)へ向かう[N9]に分岐する。
[N9]を南東に約50km進むと
マルティニに着く。
まっすぐ南東に進むとイタリア。
左(北東)に曲がるとツェルマット。
右(南西)に向かって峠を2つ越えると
約42kmでシャモニーだ。


ローヌの流れとは逆に、レマン湖から南東に走ってくると
正面にはグラン・コンバンが見え
右手にスイス、フランス、イタリアの三国にまたがるモン・ドラン。
その奥に、あのモンブランが
その名のとおり真っ白く、切り立った山頂をのぞかせている。
これらの山への登山口であるマルティニはまた
冬の峠道で遭難した旅人の救助に
セントバーナード犬が活躍した
グラン・サン・ベルナール(Grand St. Bernard)峠を越えて
イタリアに通じる街道の要衝でもある。


夕食を食べたレストランは
マルティニの町はずれの
三叉路の脇にあった。
ここを右に曲がると
すぐに道は左にターンして
目の前の山腹をよじ登り
2つの峠を経てシャモニーに
ここを左に曲がると
Grand St.Bernard峠を経て
イタリアのアオスタ谷に
道は通じている。


われわれは、マルティニの町の奥にある
グラン・サン・ベルナールへ行く道と
シャモニーに行く道の交差点に面した
イタリアンレストランに入った。

道路から低い生け垣で隔てられた庭にテーブルがあり
枝ぶりのいい大きな樹が庭全体を覆っている。
建物の中にも客席はあるが
われわれは外で食事することにした。
半ソデ・半ズボンでは少々寒い。
頼んだ料理は、サラダバーと何とかステーキとラビオリ。
久しぶりにヨーロッパらしい夕食にありつけたので
ボクは大満足だった。

いよいよ、目指すシャモニーは
ここから山を一つ越えるだけとなった。
ミシュランの道路地図によると
42kmの区間に1526mと1461mの二つの峠がある。
マルティニが400mそこそこだから、かなりの標高差だ。
何度も何度も折り返しながら、山腹をよじ登っていく。
対向車のライトの黄色が、フランスの近さを感じさせる。
1個目の峠を越えると国境だ。
こういった国道以下の街道にある小さな国境は
“ああ、これから違う国に入るんだな…”と
旅ごころを高揚させるディテールに満ちている。

上がりっぱなしとはいえ、夜空に吃立する長く白い遮断機。
グリーン系統の制服・制帽に身を固めた警備隊員。
ドアに国の紋章が入った彼らの詰所と
道の脇にある、裸電球が似合う薄暗い税関の建物。
クルマのオイルで舗装に黒い染みのできた駐車スペース。
その脇には、両替所や土産物屋、小さな食堂などが入った
角の取れた石を積み上げた、くすんだ色合いの建物がある。
思わず、どろどろに煮込んだ豆のスープに
固いフランスパンを浸して食べる光景を連想してしまう。

ル・シャテラールのスイス・フランス国境を過ぎて
次の峠までの間
道は昔の街道そのままに
農家の軒先をかすめつつカーブを繰り返す。
山裾にあるペンションへの入り口を示す看板が林立し
ところどころでスキー場への進入路が交わっている。
こういう景色を見ると、Wさんは生き返る。
このあたりはフランスでも有数のスキーリゾートだそうだ。

そんな緩い登りの区間を数km走ると
急に前方の視界が開けた。最後のモンテ峠だ。
左前方のモンブランからすぐ左の
エギーユ・ダルジャンティエールまで
左側には“エギーユ(Aiguille=針峰)”と呼ばれる
4000m級の山々が月明かりに照らされ
青白い衝立のように連なっている。
ここから駆け下りれば、目指すシャモニーの町は近い。