XJ900の爽快チューン
2009年12月25日 - 預けていた物の引き取りと古書の譲り受けによりガレージが満杯に   
     
最後に乗ったのは11月12日で、最後に触ったのは11月22日。ようやく触る時間ができたと思ったら、このような状態に。
れらを黙々とトラックに積み込むしかなかった。半分ほど空いていた荷台は満杯になり、まるで故紙回収業者のトラックのように見えた。
 帰宅した私は、とりあえず、積んであった荷物をすべてガレージに運び込んだ。翌日はゴミを積んで処分場に行かなければならないから、引き上げてきた荷物の仕分けや整理など、やっている時間はない。
 ことの重大さに気がついたのは、ゴミ出しが終わり、トラック返却後に帰宅してからだった。
 ガレージはまさに、足の踏み場もないほどの物で溢れそうになっていた。昨夜は薄暗かったのではっきりわからなかったのだ。積みあげられた古雑誌/古新聞の山を前に、しばし呆然と立ちつくした。これほど多くの物を片づける妙案はない。
 …というわけで、この日からしばらく、ガレージに近づくのが嫌にな
った。寒さも手伝い“考えるだけなら机の前でだってできる…”と、自車の写真を見ながら、 SSR/コネクター/配線材料/樹脂材料などの調査やカタログの請求をしたり、ラフスケッチを描いたりしていた。
 が、やはり、現物を見、触り、確かめないと、なかなかアイデアは沸かず、考えはまとまらない。どうやら、正月休みは、古雑誌と古新聞の山を切り崩しにかかるしかなさそうである。それが終わらなければ、ち
ょっと見るだけの用でバイクに近づくことすらままならない。
 RACERS第2号の仕事が終わってから数日は、取材/編集/執筆期間中よりも忙しかった。あとまわしにしていた雑事に追われていたからだ。で、それらをようやく片づけたと思
ったら、まもなく年末。まあいい。バイクいじりには締め切りがないから、正月休みにゆっくりするか…と最初はのんきに構えていた。
 ところが、雑事の一環として、粗大ゴミをウチから処分場に運ぶことになり、グローリーホールのトラックを借りようとしたのがその後の展開を大きく変えてしまった。
 借りたトラックを空車のままウチまで回送するのはもったいない。ち
ょうどいい機会だから、グローリー

ホールに預けっぱなしになっているXJ750Eのフレームやオーディオセットを引き上げようと考えた。
 ところが、ちょうど同じころ、母親の同級生から、古いバイク雑誌を引き取ってくれないかという話が転がり込んだ。その人の家はグローリ
ーホールから遠くないところだったので、XJ750Eのパーツとオーディオセットを積んだトラックで古雑誌を引き取りに行き、積み込んでから帰宅することにした。
 ところが、引き取りにうかがったお宅の玄関に積み上げられていた古雑誌と古新聞の量は、私の想像をはるかに超えていた。が、今さら引き返すわけにもいかず、私はただ、そ
同時に引き上げてきたオーディオセット。黒いのはヤマハのスーパーウーファーYST-SW1000、上はQUADのESL-63。XJ750E・1号機のフレーム。1990年頃に大改造を目指し、補強と塗装を済ませたところで断念したまま放置していた。やってきた古書は、1953以後37年分の英国“モーターサイクル”。興味深い記事には時間を忘れて見入ってしまう。


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