XJ900の爽快チューン
2011年9月30日 - ヤマハWGP参戦50周年記念メモリアルラン(リハーサル編)   
     
今回の私の担当車、1995年型YZR500(OWF9)。不動状態で保管されていたのを、メモランに合わせて整備したのだそうだ。
OWF9の解説板。“(1995年に)初のGP500フル参戦を果した阿部典史は(ランキング)9位に入った”などと書かれている。
エルフガスのドラム缶に入ってはいるが、中味は市販の無鉛ハイオク。オイルはすでに混合済みで、現場での手間が省けた。
 今日(金曜日)は16:00〜16:20と17:00〜17:20の2回の走行がある。
1回めが試走、2回めが練習に割り当てられており、試走=マシンの確認とライダーの慣熟、練習=日曜の本番を想定したリハーサルである。
 その他、 10:30にはドルナの立ち会い確認、 13:00にはサーキット側の責任者を交えたメモラン関係者合同会議が予定されている。
 立ち会い確認というのは、サービスハウス前のテントでの展示のもようが、TV映像として世界中に配信されても問題がないかどうかのチェックである。MotoGPの興行と放映の両

方を一手に仕切るドルナならではの気の配りようといったところか。
 13時からの合同会議では、それまで決まっていなかった細かな進行スケジュールを打ち合わせた。メカニックにとって重要な、マシンの暖機時間もこのときに決まった。
 サーキットなんだから、いつでも好きなときにエンジンをかけていいなんてのは過去の話で、世界選手権の3クラスでさえ、場所と時間を決められている。要は、どこでインタビューを収録しようが(エンジン始動禁止時間内であれば)ノイズのない録音を可能にするためだろう。

 で、われわれの暖機は、3クラスのエンジンがかかっていない時間はダメで、MotoGPクラスの走行中もダメ。 Moto2の走行中ならOKということになった。冷却水量が多く、水温を上げるのに時間がかかるOWF9も、これなら充分に暖機できそうだ。
 5台の走行マシンと、全員のTカ
ーを兼ねる(走行予定車のいずれかにトラブルがあった場合のスペア)
YZR750は、 9:00〜18:00の間、走行していないときは常にテント内に展示することになっているから、暖機はもちろん、掃除/給油/軽整備などもすべて衆人環視の下である。
操作系の位置をチェックし、平野さんに指示を飛ばすシャケさん。シフトペダル調整中のため、アンダーカウルが外れている。
コースインまでのわずかな時間、ファンの声援に応える阿部さん。着ているツナギは、ノリックが遺したのをリサイズした物。
5台のマシンに修復不能のトラブルが生じた場合のスペアとして用意されたYZR750。ケニーがデイトナ200で走らせた物だ。
 出走する5人のライダーも合同会議に参加し、レースとは少々勝手の違う進行スケジュールやコースイン
〜スタート手順などについて、細かな打ち合わせが行われた。
 その席で、かの本橋明泰さんから要望が出た。曰く、3周の練習は少なすぎる。もっと走りたい。それがダメなら、せめて、さきほど説明のあった“最初は1周してスタート地点で止まり、異常のないことを確認してから2周する”というのをやめて、3周連続で走らせてほしい。ゆ
っくり走ったり止まったりするとエンジンがカブり気味になり、元に戻

すのに時間がかかる…のだそうだ。
「私は、グランドスタンドで見ているお客さんの前で、いい音を響かせながらストレートを通過したいんです」とは、さすが本橋さん。参りました。ライダーというのは、いつも
“ええカッコしい”で、周りもそれを期待しているのだから、これこそメモランの何たるかをわかりきった本橋さんならではの言葉である。
 合同会議が終わると、テントの周りはにわかに活気づいてきた。河崎裕之(シャケ)さんは、会議が終わ
って表に出るやいなやOW81に跨がって、両手両足のレバーとペダルの位

置を確認。その脇では平野さんが、シャケさんの希望どおりの位置/遊び代に、操作系を仕上げていく。
 MotoGPクラスの2回めフリー走行が始まったころからは、冷却水の注入(クーラント使用車は入れたままなので注入せず)〜ガソリンホースの接続(運転時以外はコックからホ
ースを外しておくのがヤマハ流)〜給油(どのマシンも10リットル入れた)〜タイヤの空気圧チェック(ストリート用ラジアルなので 前250/後ろ290kPaに調整)〜YPVS用バッテリーのコネクターを接続…と、やっとメカニックらしい作業をした。
我が子のように、つきっきりでOW20の面倒をみていた千明さん。37年前のレーサーを走らせる難しさがよくわかった。OW20に跨がり、何やら神妙な顔つきでチェックをする本橋さん。古くからの本橋ファンの私には“もったいない”光景だった。
 暖機は、 Moto2のフリー走行中にテント内でのみ許可されたので、マシンは三角スタンド(リアアクスルを貫通するタイプ)で展示位置に停めたまま、スターターをリアタイヤに押し当ててエンジンを始動する。
 右手でゆっくりホイールを回しながら左手でシフトペダルを操作してローに入れた後、シートに跨がってクラッチを切り、右手はスロットルグリップを握った態勢でスターターを待つ。OWF9も初めてなら、スターターを使った始動も初体験だ。
 スターターの小さいタイヤがOWF9の太いリアタイヤに接触し、グルグ

ルグルグルとホイールが回りだす。頃合いを見はからって“うまくいけよ!”と念じてクラッチミート。しかしかからず。2回めも失敗。パラパラっ…と、火が飛んでいる気配はあるのに、少しでもスロットルを開けると、一瞬回転が上がりそうなふりをして、すぐにエンストする。
 横で見ていた山本さんが「やっぱり、これ使いましょう」と、持ってきたのはパーツクリーナー。カウル両脇のエアダクトから中に向かってシューッ、シューッと一吹きしただけで、OWF9のエンジンはあっけなく目を覚ましてくれた。ほ〜っ(笑)。

 始動に成功したからといって喜んではいられない。エンジンがかかった状態で、ギアを入れてクラッチを切ったままにするのはトラブルのもと。ストールさせないように気をつけながら、できるだけ早くニュートラルに入れなければならない。
 レーサーのシフターはストリートバイクとは異なり、非常にニュートラルが出しにくい。1→2、2→1の変速時にニュートラルに入らないようセグメント(シフトドラムの側面にあるヒトデ状のパーツ)の切り欠きがとても小さいからだ。当然ながらニュートラルランプはない(笑)。
かつて自分がレースで走らせたマシンに跨がり、出走前のひとときをすごすシャケさんと平さん。2人とも現役時代のツナギだ。ファンサービスのついでに、こっちに目線をくれた中野さん。この時代のYZR250を担当した武内さんとの呼吸はバッチリだ。
 1→2、2→1…と何度か往復した後にニュートラルを探し出し、リアブレーキを踏んだまま恐る恐るクラッチレバーを放し、ちゃんとニュートラルに入っているのが確認できたときは、正直言ってほっとした。
 ニュートラルさえ出れば、あとはこっちのもの(笑)。マシンの右脇に立ち、延々とブリッピングを続けて水温が上がるのを待つだけだ。
 サーキットという場所で“ええカ
ッコしい”なのはライダーだけでなく、メカニックも然り。現役時代には、どんなふうにウォームアップするのがカッコいいか、ずいぶん研究

した(笑)。姿勢、右手の動き、左手の置き場、視線の方向など、当時を思い出しながらやってみた。
 周りでも次々とエンジンに火が入り、懐かしい2ストのサウンドと排気煙があたりに漂った。中でも圧巻は、千明さんの手によるOW20のエンジンスタートとウォームアップだった。あまりのカッコよさに、思わず見とれてしまい、しばし自分のブリ
ッピングのリズムが乱れたほどだ。
 全車のウォームアップが終わると間もなく、練習走行のコースインである。テントからマシンを出し、歩いてコントロールライン脇からコー

スに入り、コントロールラインに着けたOW20を頭に年式順に整列した。
 ライダーがマシンに跨がると、進行係・佐々木さんの合図で、1台ずつ、メカニックが押してエンジンをかけ、走りだす。3番手スタートのシャケさんが1コーナーに達したところで阿部さんの出番。両手でテールカウルの後端を支えた私は、45度前傾姿勢のまま、地面を蹴る足にぐっと力を入れる。3歩ほど押したところで阿部さんがクラッチミート。バララッとエンジンのかかったOWF9は、紫煙をなびかせながら加速し、1〜2コーナーに消えて行った。
練習走行スタート直前のコントロールライン付近。OW20〜OW76〜OW81〜OWF9〜OWL5の順に並べ、ライダーを待つ。
現役時代と同じアクリル製(おそらく手造り)の、10Lまで測れるメスシリンダー。走行後は必ず残量を計測し、缶に戻す。
 どれくらいのラップタイムで戻ってくるんだろう…と、ピットの屋上にある大型モニターに目をやると、どこからか“ゼッケン1番、5コーナーで転倒”とのアナウンスが…。そして、やや間をおいてコントロールタワーには赤旗が掲示された。信じられないことに、平さんが転倒し倒れたまま動けないらしい。
 コントロールライン脇で緊急ミーティングを行い、練習走行はこれにて終了する/平さんを病院に搬送するヘリコプターには北川さんが同乗する/17時からのリハーサルは予定どおり行う…などを取り決めた。

 そんなわけで、17時からのリハーサルには、平さんを除く4人のライダーが参加。日曜日の本番を想定したマシンの搬入と整列/ウォームア
ップ/ライダー紹介/スタート/チ
ェッカー/整列/インタビュー/表彰/搬出などの予行演習をした。
 リハーサルの3ラップ、私はもちろん、阿部さんの走りを注視していた。MotoGP/Moto2/125などと比べると“あれっ?”と思うほど手前から1コーナーに向けて減速を始めるが(笑)、シャケさんと比べて、とくに遅くはなく、ストレート前半では10000rpm以上回っていそうだ。

 事前に袋井のヤマハコースで初体験を済ませたとはいえ、1990年代の500cc GPマシンで初めてのコースを走り、これだけいけるのはスゴい。阿部さんの走りを見て、嬉しさと同時に“オレもしっかりせなあかんなあ…”という気持ちが沸いてきた。
 平さんのほうは、転倒による脳震盪で一時的に意識不明だったらしいが、サーキットの医務室にいるときにすでに意識は回復し、念のため精密検査を受けるべく、ドクターヘリで病院に搬送されたとのこと。今夜一晩入院し、明日には退院できるだろうと聞いて安心した。


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