XJ900の爽快チューン
2011年11月23日 - Ferry Brouwer (Yamaha Classic Racing Team) と感激の再会   
     
     1984年、オランダの転戦基地にて、福田照男のヘルメットをチェックするフェリー。後方は我々の住居だったモータホーム。
 フェリー・ブラワーが来日する…という情報を得た私は、その情報を提供してくれた人に無理やり頼み、プライベートな“フェリーさんを囲う会”に潜り込ませてもらった。
 フェリーと初めて会ったのは1984年のこと。当時、アライヘルメットヨーロッパの社長だった彼は、1970年代にヤマハヨーロッパでロードレ
ースのメカニックをしていた経験を生かし、レーシングチームのマネジメントを副業にしていた。
 プライベートで世界GPを転戦する福田照男チームは、マシンや荷物の通関/トランスポーターの手配/オランダでのワークショップと住居の世話/世界GPや各地のインターナシ
ョナルレースへのエントリーとスタ
ーティングマネーの交渉/転戦中の船や飛行機のチケットの購入/その他困りごとの相談などなど、1シーズンを通して大変お世話になった。
 そのフェリーが、アライの仕事をやめてYCRTを立ち上げたのは、人から聞いたりYCRTのサイトを見たりし

て知ってはいたが、84シーズン以後に会ったのは、私が世界GPの取材に行ったどこかのサーキットで1回と彼が来日したときの1回だけ。いずれも90年代のことであり、その後はlong time no seeだったのだ。
 フェリーとは、9歳の年齢差・人種差・国籍差を超えて、とてもウマがあう。若い頃にドラムを叩いていたとか、ロードレースのメカニックだったという経験だけでなく、クルマの運転、部屋の窓は開けて寝る、Cuba Libre好き、原理主義的頑さを持つ精神構造など、好みや思考にも似たところがあり、だから“ウマがあう”のではないかと思う。
 大の知日家・親日家というのも、彼が多くの日本人と親しくやっていける理由のひとつに違いない。娘さんに日本語の名前(ヨーロッパ語諸国にも例あり)をつけていたり、自分の名前を“フェリー・ブラワー”
とカタカナで書いたりするほどだから、会話も日英混合で何とかなる。
「Yoshi-sanあのね、now in Europe

ではair ticketがvery cheapだからfrom Amsterdam to Liverpoolが、たったのニジュウゴeuroよお」てな具合で、easy to understand(笑)。
 だが、こちらの言うことが完全に理解してもらえたかどうかは少々疑問で、自分の英語力の激しい低下に愕然とさせられた。が、まあ、それでも、フクダさんの他、フジモトさん、フミさん、ノジマさん、キタムラさん、ワダさんら、その場に居合わせた中では私が最もよく知ってそうな人たちの近況は報告できた。
 で、カンジンのYCRTのことについて、細かいことははほとんど聞けずじまいだった。なにぶん、無理をお願いして潜り込んだ立場(そのわりには態度デカかったぞ…と言われるかも)ゆえ、今日のところはこれくらいにして、続きはメールのやりとりで…ということにした。フェリーは「見に来い!」と誘ってくれているのだが、どうなることやら…。
 Thank Ferry and four Japanese who take me in pleasantly.


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