「キリ頑張れっ!」
最終コーナーまでの長いストレートに向かう2台の後ろ
姿を見ながら、ボクは思わず叫んでいた。世界選手権スー
パーバイク第4戦・第2レースの最終ラップ。スタンドに
鈴なりの観客は身を乗り出し、大声で声援を送っている。
立ち昇るかげろうの向こうで2台のマシンは何度かその影
を交差させ、折り重なるようにして最終コーナーへと消え
た。やや間をおいて、目覚ましい追い上げを見せた永井が
3番手で通過した後、一瞬の静寂がおとずれ、次の瞬間、
早口のアナウンスをかき消すように、絶叫がモンツァの森
にこだました。キリが勝ったのだ!
シケインに臨むスタンドの観客は、誰一人としてその場
を去ろうとしない。日に焼けた顔をくちゃくちゃにしなが
ら、拍手をしたり大声を出したり、トリコローレのイタリ
ア国旗を振り回したりしながら、チェッカーを受けたライ
ダーが戻ってくるのを待っている。やがて森の中から深紅
のワークスドゥカティに乗るカール・フォガティーが姿を
現わし、続いて何人かのライダーが通過。そして「キーリ
キーリ!」の大合唱が沸き起こったところへ、この日の主
役が戻ってきた。
シルバー/ブラックの精悍なドゥカティ916が、シケ
イン入り口でグッと速度を落とす。立ち上がったキリは、
左の拳を空に向かって力いっぱい突き上げながらシケイン
1個目の左コーナーを抜け、2個目の途中でマシンを停め
た。三色旗を持ったオフィシャルが駆け寄り、コースサイ
ドにいたカメラマンが群がる。キリの周囲を駆け回りなが
ら、ボクは夢中でシャッターを押し続けていた。レース結
果や表彰式なんて、どうでもよかった。ただその場で、ま
わりにいる多くのファンといっしょにキリの優勝を喜び、
戦いをたたえられるのがうれしかった。
「自分自身のライダーとしての実力を試したい…」ただそ
れだけのために、契約金なしで世界選手権スーパーバイク
にフルエントリーし、ノーマルに近い916で戦うキリ。
そんな彼が、バリバリのワークスマシンに乗るドゥカティ
のナンバー1ライダー、フォガティーに勝てたのは、マシ
ンの性能やライダーのテクニックではなく、『オレが勝つ
んだ!』という、みなぎる気迫のせいだ。
3番手という、1週間前のイタリアGPの予選順位も、
気力のなせるわざ以外の何者でもない。カジバから去年型
のマシンを借り出したキリは、2年ぶりのGPを、5年ぶ
りの500ccマシンで走ったのだ。このとき、キリは本気
でポールポジションを狙っていた。大きな身体を目いっぱ
い使った豪快なライディングフォームも、ヘルメットの中
の湯気が出そうな赤ら顔も、250のタイトルを争ってい
た頃と何ら変わっていない。
3番手のグリッドを決めた後、ムジェロのピットで「こ
こだけしか走らないのか?」と聞いたとき、ちょっとさみ
しそうな顔をして「走りたいが、どうなるかわからない。
でも、今シーズンはスーパーバイクで頑張ることにしたか
ら…」と答えてくれたキリ。今の彼にとって大事なのは、
チャンピオンやワークスライダーの座ではなく『ライダー
であること』と『全力をつくして戦えること』なのだ。そ
して、彼にそのパワーを与えているのは『情熱的なイタリ
アンの血』に違いない。
シケイン2個目で止まったキリは、そのままマシンをオ
フィシャルに預け、観客席のほうに歩きだした。コロセウ
ムと化すモンツァのシケイン。その真ん中で歩みを止め、
汗と涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、飛び上がりながら何度
も何度も左右の拳を交互に突き上げるキリ。彼の手の動き
に合わせるように、観客席にどよめきが響きわたる。感き
わまったキリはグリーンに座り込み、脱いだブーツを観客
席めがけて放り込む…。自分自身が舞い上がり、居合わせ
た者すべてを興奮の極致に陥れたまま、はだしのキリはマ
シンにまたがり、シケインを後にした。
近くにいたカメラマンやオフィシャルとがっちり握手を
交わしたボクは『やっぱりイタリア人だよな。その中でも
特別イタリアンなのがキリだよな。ビアッジやカピロッシ
とは役者が違うよなあ…。まだまだイケるじゃないか。最
後の晴れ姿? とんでもない。まだまだこれからじゃない
か…』そんなことを考えながら、表彰台に向かって必死で
走った。一瞬でも多くキリの姿を見、1分でも長くキリを
取り巻く雰囲気に浸っていたかったからだ。
ピエール・フランチェスコ・キリ。その名前は、常にド
ラマの主人公として、観客席の熱狂とともにボクの記憶に
刻み込まれている。ありがとう、ピエール・フランチェス
コ。素晴らしいレースだったよ。8月のSUGOラウンド
にも、必ず来てくれよな。
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