27 国境でワインに酔う


「うむ。ビールよりはワインのほうが好きだな」
国境でのいきなりの質問に、ボクは答えた。
「じゃ、ちょっとこっちに来い。
うまいワインをごちそうしよう」
ボクには、その言葉が信じられなかった。
何か全然違うことを言っているのを聞き間違えたのかと思った。
そりゃそうだ。いくらこれから出国する者に対してとはいえ
クルマででかける者に
アルコールをふるまう警官なんているわけがない。

半信半疑のまま、そいつについて建物の中に入った。
連れていかれたのは台所だった。
大男は、いきなり棚からワイングラスを2個取り出し
ミネラルウォーターの容器から、なみなみとワインを注いだ。
聞き間違いではなかった。

1杯がボクのぶんで、もう1杯はそいつのぶんだった。
「スロヴェニアでは乾杯を何て言うのだ?」
ボクはそいつに聞いた。
そいつは、ひとつひとつの文字を発音しながら
指でテーブルになぞり書きし
最後に通して発音した。
(何と言うのか忘れてしまった。
くそ〜、メモしとけば良かったな。(^_^;)

ボクたちはスロヴェニア語で乾杯した。
「オマエの国では何と言うのだ?」と聞いたので
教えてやって、今度は日本語で「乾杯!」した。
美味い! とろっとした舌ざわりの、濃厚な白ワインだった。

彼の同僚の母親が、近所で穫れたブドウを使って作ったらしい。
そういえば、イタリアとの国境にあった売店にも
スロヴェニア産のワインがたくさん置いてあった。
オーストリアやハンガリーでもブドウが獲れるのだから
スロヴェニアでワインができて不思議はない。

1杯目はすぐになくなった。
お互いに2杯目を飲みながら、ボクたちはいろんな話をした。
ユーゴスラヴィア連邦からの独立と
新しくできた国境のこと
新生スロヴェニアでの人々の生活のこと
先週のドイツGPの結果と昔のユーゴスラヴィアGPのこと
隣国・クロアチアの戦争と最近のリエカやザグレブのようす
などなど。

「オマエの国のガバメントがブレイクしたそうだな」
…という大男の話を聞いて
“まさか。このへんの国じゃあるまいし…”と思ったが
そう言っては失礼なので
「そんなことはないはずだが…」とだけ返事をした。
これが実は日本の政界再編劇の始まりだったと、後で知った。

ボクが「クロアチアの戦争のニュースは
日本でも毎日報道されているが
スロヴェニアの近況はほとんど報道されない」と言うと
彼はとなりの部屋からパンフレットを抱えてきて、1部くれた。
パンフレットは、表に大きくスロヴェニアの観光地図が描かれ
裏に国の概況が細かく紹介されている。
昔読んだ“少年朝日年鑑”とか“日本国勢図会”を思い出した。
日本語版はなかったが
英、仏、独、伊、蘭、西の各国語版が用意されている。

彼はなおもワインを注ごうとしたが
これ以上飲むと運転に支障をきたす恐れがあったので遠慮した。
“そうだ! 記念写真を撮ろう”
ボクはそいつを外に連れ出し
ボーダーの建物をバックにしていっしょに並んだ。
カメラマンは彼の同僚にお願いした。


2人とも、けっこう顔が赤い。
西ヨーロッパから
クロアチアに入る
重要ルートの一つだというのに
撮影の間、1台のクルマも
通らなかった。


撮影後、その同僚は「日本の紙幣を持ってないか?」と、たずねた。
よくいる紙幣コレクターだ。
千円札を出すと「それがミニマムなのか?」と聞く。
「そうだ」と返事をすると、ぶ厚い札入れを取り出した。
ヨーロッパ各国の紙幣が入っていた。
「どれでもいいから、好きなのと交換してくれ」
ボクは10000リラ札を1枚もらった。

例の大男は「写真を送ってくれ」と言いながら
紙に送り先の住所をメモしている。
“ストヤナ”というのが大男の名前(姓)らしい。
もっといろんな話をしたかったが、まだまだ先は長い。

みんなにお礼を言って、ボクはクルマに乗った。
気がつくと、かなり酔っていた。
そこから坂を下り、カーブをいくつか抜けると
クロアチアの入国ゲートがあった。