スロヴェニアとの国境をすぎても 
景色はあまり変化しない。 
道の両側にはプラタナスの木が繁り 
まわりの山々は濃い緑で覆われている。 
白く、乾いた感じの舗装のうねりもイタリア的だ。 
道端には、ところどころに 
車でやってくる観光客相手のレストランやバーなどがある。 
 
イタリアの田舎の民家と同じ 
濃いレンガ色の屋根と明るい黄土色の壁をした建物だが 
たいていは平屋建てだ。 
道路に面して大きな木の植わった空き地があり 
その下にパラソルを立て 
イスやテーブルを並べているところが多い。 
停まっている車のほとんどは 
イタリアのトリエステナンバーだ。 
往来が楽になった近所のイタリア人が 
休日に遊びに来るようになったのだろうか。 
 
  
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イストラ半島基部の国境線は 
複雑な形をしている。 
半島全体のほとんどは 
クロアチア領なのだが 
付け根の西側に垂れ下るように 
スロヴェニアの領土が張り出し 
さらにその内側に 
トリエステ湾を取り囲むように 
イタリア領が回り込んでいる。 
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このあたりの右手は、アドリア海に突き出たイストラ半島だ。 
オーストリアの南部から 
スロヴェニアの西部を通ってイストラ半島までが 
ヨーロッパで一番緑がきれいな地域だと思う。 
とくに、イストラ半島の付け根を横断する道から見える 
南側の山々は美しい。 
見渡す限りの土地を覆う、いろんな濃さの緑色。 
そこには1点の灰色も茶色もない。 
半島の先端はもう、クロアチア領だ。 
 
イタリアの右翼あたりを中心として 
この半島を奪還しようという動きがあるが 
それより、トリエステをスロヴェニアにあげたほうがいい。 
いや、そんなことより、国境がなくなって 
スロヴェニア、クロアチア 
ハンガリー、オーストリアにまたがる地域は 
自由に人や物の行き来ができるようになるべきだ。 
もちろん、人々は自分の好きな言葉を話して、である。 
 
イタリアのトリエステからクロアチアのリエカへ 
半島の付け根を横断する道が 
スロヴェニア領内を通るのは、わずか30数kmだけ。 
間もなく、立ったばかりの“国境あり”の標識と 
徐々に小さな数字になる制限速度の標識が見えた。 
 
以前は何もなかった山あいの平地に 
新しいボーダーができている。 
初めてのスロヴェニア/クロアチア国境越えに 
ボクは緊張していた。 
最初のブースでパスポートを見せ 
「スタンプをくれ」と身振りで伝えると 
「ポリス オーバーゼア」と返事があった。 
そうか…、ここは税関だった。(^_^;  
 
10メートルくらい離れた次のブースで停車し 
クルマの窓からパスポートを見せると 
ちらっと中を覗いた後、係員から 
“行ってよろしい”の合図があった。 
「May I Have Your Stamp, Sir?」と 
バカていねいにお願いすると 
彼は“STAROD”と入ったスタンプを押してくれた。 
 
「フヴァーラ・リイェポ、ナ・スビダーニャ」 
…と言って走りだそうとすると 
ボーダーの建物の屋根ではためく 
新生スロヴェニアの旗が見えた。 
国境でカメラを構えるのはご法度だ。 
でも、今回はこれでスロヴェニアとはお別れだから 
どうしても写真に撮っておきたかった。 
 
歩いてさっきの小屋に引き返し 
旗を指差して「写真を撮っていいか?」と聞いた。 
出てきたポリスマンは、ゲルマン系の顔をした大男だった。 
そいつは、ドイツなまりみたいな感じの英語で 
「ノット プロヒビテッド」と答えた。 
スロヴェニア国旗の写真を撮り 
ついでに広角レンズでボーダーの建物を撮った。 
 
  
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ボーダーの建物の屋根ではためく 
スロヴェニア共和国の旗。 
正式名称はRepublika Slovenija。 
ユーゴスラヴィア連邦からの独立は 
1991年6月25日だった。 
面積は日本の1/19。 
人口は日本の1/64で 
91%がスロヴェニア人。 
  
  
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クルマに引き返そうとしていると、さっきの大男がやってきて 
「オマエはワインが好きか?」と尋ねた。 
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