このままレストランの2Fに泊まって
きっと美味しく、楽しく、心地良いに違いない
朝食の時間をゆっくり過ごして
順光に照らされたピレネーの山々を眺めながら
アンドラに向かうことができればどんなにいいだろう…。
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3年後に再訪したときの
Auberge d'Eus。
アーチの向こうにある
色とりどりの花に囲まれたテラスで
お茶とお菓子のブレイクってのも
なかなかオツなもの。
このときは泊まるつもりで行ったのだが
オーベルジュブームのためか
夕食は予約でいっぱいで
部屋もすでに満室だったので
近くのVillefranche de Conflentの
すぐそばにあるオーベルジュに泊まった。
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だが、そんなことをしていると
アンドラに滞在できる時間が短くなりすぎる。
何としても今日中にアンドラに入り
明日、丸一日滞在して
明後日にはバルセロナに向かわなければならない。
メルシーとかボンとかデリシューとかオルヴォワとか…
知ってる限りのフランス語の単語をかき集めて
おばちゃんにあいさつし
ついでに厨房を覗いてオヤジにもお礼を言い
「ア ビアントー」と念を押し
“また来るぞ!”という決意がおばちゃんに伝わったのを確かめて
われわれはAuberge d'Eus を後にした。
「ビアントー」を思い出して本当に良かった。
Auberge d'Eusを出てしばらくすると、道はぐんぐん山に登る。
日はとうに暮れ、カーブはきつく、道幅は狭くなり
小さな集落の中では対向車と離合できないようなところもある。
そんなところを、自分でも信じられないようなスピードで駆け抜ける。
車幅感覚が異様に冴え
5cmまでなら右側のガードレールに寄れるって感じだ。
“何でこんなに運転がうまくなったのだろう?”
…などと考えている自分が、自分でもおかしかった。
明らかに酔っぱらい運転だ。
途中のことはほとんど記憶に残っていないような状態で
気がついたらアンドラとの国境を通過していた。
アンドラの首都であるアンドラ・ラ・ヴェリャに向かうには
国境を越えてすぐ
Pas de la casaという峠を越えなければならない。
峠に向かうヘアピンカーブの連続した区間に入ると
いきなり濃霧があたりを覆っていた。
スピードを落とし、路肩の白線を頼りに走るが
進むにつれて霧は濃くなり
ボンネットの先2〜3メートルほどしか見えなくなった。
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'91年に同じルートを通って
アンドラに向かったときは
5月だというのに雪が降り
国境までは何とかたどり着けたが
その先は積雪と濃霧で進めず
アンドラ・ラ・ヴェーリャ行きは断念した。
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フランス/アンドラ国境。
このときは、ゲートをくぐり
国境のすぐ向こうにある
免税店を覗いただけで
バルセロナに向かった。
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霧の中から現われる白線を凝視し
ほとんど手探りみたいな感じで走っていると
不意に気分が悪くなってきた。
Wさんの話では、吹雪の中でスキーをしていても
似たような症状を起こすことがあるそうだ。
視点が定まらないまま、上下左右に身体が揺れ動くと
平衡感覚がおかしくなって酔ってしまうらしい。
しばらく我慢して走っていたが
遂に限界に達してしまった。
急ブレーキをかけてクルマを右の空き地に寄せるが早いか
ドアを開けたボクは
道端に“名も知らぬ野草のルション風
魚すり身入りソースがけ”を作ってしまった。
“何てもったいない!”などと思ったのは翌日になってからで
そのときは“ああ、これでちょっとは楽になる〜”
…という気持ちしかなかった。
運転を代ってもらった後
アンドラ・ラ・ヴェリャに着き
何軒かのホテルで断られたあたりのことは
かすかに記憶にはあるが
正気に戻ったのは、やっと1軒空いていたホテルの前で
Wさんに起こされたときだった。
レセプションにはアラブ系みたいな顔の男がいた。
彼は、たぶん単なる警備員で
チェックインの手続きなどは知らないみたいだった。
メモ用紙にわれわれの名前とパスポートNo.を控えただけで
キーを渡してくれた。
ちゃんとした手続きは明日の朝にしてくれということだ。
「駐車場はないのか?」と聞くと
「向かい側のパブリック・パーキングに停めておけ」との返事。
歩道に荷物を降ろし
ボクが見張りをしてWさんがクルマを停めに行った。
“ああ、これでやっと、何十時間ぶりかでベッドで寝られる…”
そう思うと、どっと全身の力が抜けた。
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ユィからアンドラへは
一般道で約100kmの道のり。
国境からアンドラの首都
ラヴェーリャまでは約30km。
ユィを出てしばらく走ると
道はぐんぐん山に登りはじめる。
1579mのPerche、1345mのLlousの
2つの峠を越えると
しばらく平坦路となるが
アンドラに入るには、さらに
1915mのPuymorens、2091mのCasa
2407mのEnvaliraの3つの峠を
越えなければならない。
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所帯道具一式を抱えて部屋まで歩くのが
これほど苦痛に思えたことは今までになかった。
部屋に入るや否や荷物を床に転がし
ベッドに倒れ込み、朝まで寝てしまった。
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