XJ900の爽快チューン
2009年8月23日 - XJ900×2+883の、イベントフルな琵琶湖3/4周ツーリング   
     
 話は去年の夏の東征にまでさかのぼる。あのとき、武蔵小山で飲んだくれて泊まってしまい、翌日の横浜ショップめぐりに自車で参加できなかったHollyさんは、 その後密かに関西方面へのツーリングを企画されており、それがようやく実現した。
 Hollyさんの目的は2つ。ひとつは以前私が使っていた STDキャブ(ミクニBS36)用の改造/セッティングパーツを奪うこと。もうひとつは交換試乗(彼は去年の夏に私のマシンに乗ったが、私は彼のマシンに乗ったことがなかった)である。
 だが、おおよその日にちが決まった後、どこで何時に待ち合わせるかがなかなか決まらない。 XJ900などというレア物に手を出す(彼は何とFJ1200を叩き売って XJ900を買ったそうな)人種には似たところがあるらしく、彼もまたメンドクサいことが嫌いである。そんな2人の相談がさっさとまとまるわけがない。否、そもそも相談するってのが面倒だ。
 そんなわけで、あらかじめツーリングのルートを決めるなどというのはハナから諦め、かろうじて待ち合

わせの場所と時間だけ、何とか彼の出発直前に決めることができた。名神高速・栗東ICに午前9時である。
 ウチから栗東に行く最短ルートは箱付きさんの家のすぐ近所を通るはず。でもよくわからない。なので、道を教えてもらうついでにツーリングに誘ってみたらOKの返事。で、表題に書いた XJ900×2+883というラインアップが決定した。
 朝、出発しようとしていたら、となかい&とべない豚さんからメールが来た。信楽の喫茶店でお茶をしているとのこと。 これからHollyさんを迎えに栗東ICに向かうことを告げると、じゃあICまでご挨拶に行きましょう…との返事が返ってきた。
 元々出発が遅れていたうえに、このやりとりに時間がかかり、家を出た後は、フロントフォークに原因不明のトラブルを抱えたままのマシンで和束川沿いの道を激走する。ところが、おそらく気温が低かったせいか、気になる症状は出ず、いつもより気持ちよく走れるではないか。ここでもまた、楽しめる速度域が高いほうに拡大したのを感じながら、い

つものテストコース(国道 422号、甲賀/大津市境付近)に入った。
 この区間は、いつもハイペースで走っているために、とくに変化は感じなかった。しかしこれは、異常ありと感じた数日前と比べると、明らかな改善だ。ひょっとするとこの異常は、 7月20日の“メチャクチャブレンド”のフォークオイルが、早々にヘタったせいかもしれない。ともかく、このツーリングが終われば、原因究明と対策をしっかりしたい。
 テストコースを通過してしばらく走ったところで、信楽から栗東に向かう途中の、となかい&とべない豚さんに追いつき、あとは“動くカーナビ”と呼ばれるとなかいさんの先導で、余裕を持ってICに着いた。
 HollyさんのXJ900は、私のと同年式・同塗色だと事前にわかっていたのに、実物を見て思わず笑ってしま
った。珍車が2台でお珍々である。久しぶりに再会した Hollyさんは、一睡もせず茨城から駆けつけたというのに、疲れたふうでも眠そうでもなく、さあこれからツーリング…といった覇気が感じられて好ましい。
名神高速・栗東ICに並んだ2台のXJ900(ともに4BB1・1991年式)と、左から順に、箱付き、となかい、Holly、私の4人。
琵琶湖大橋上のHollyさん+彼のXJ900。テールランプの低さに車体姿勢の違いを感じるが、見た目の安定感は高い。
箱付きさん+スポーツスター883。夏前に足まわりとキャブのセッティングを見直し、気軽に乗れるスポーツツアラーに変身した。
 さっそく箱付きさんと、見送りだけの予定のとなかいさんも含めて、ここから先のルートを相談。 Hollyさんが鯖街道を走りたそうだったので、琵琶湖大橋を渡って鯖街道に入ることにした。そして予定を変更して琵琶湖大橋まで道案内をしてくれることになったとなかいさんの先導で、どこをどう走ったかまったくわからない抜け道を通って湖岸道路に出、琵琶湖大橋東詰でとなかい&とべない豚さんとお別れした。
 ここから先は、しばらく 国道477号を西に走り、途中(地名)で山に突き当たれば、そこを南北に走るのが 国道367号、通称“鯖街道”だ。今日は私が先頭だし、道も空いていたので、あとは箱付きさんに任せ、何度か“The Queen of SABA”の 実力確認をさせてもらった。
 以前、鯖街道をテストコースにし

ていた頃に、中でもそこを気持ちよく走れるのを目標にしていたいくつかの区間がある。今日はそのうち、長い坂を下った直後に急な登りに転じ、右に曲がりながらゼブラゾーンで凸凹の橋にさしかかり、橋の途中から平らになる、難しくも走りごたえのあるコーナーと、断層崖に沿うルートとは思えぬ開放的なけしきの中を突き進む緩やかな登りの直線の先に空に向かって消えていくように見える右高速コーナーの2箇所、そして、そこへのアプローチを含む区間を存分に楽しむことができた。
 久しぶりに朽木の道の駅でランチバイキングもいいな…と思っていたのに、着いてみると10時10分。店は閉まっており、近所に適当な場所もないので、ここで再び“この先どうする”会議。いくつかの案の中からHollyさんの帰路を考慮し、 マキノ

のメタセコイア並木を見に行くことに決めた。が、ただ素直に琵琶湖に向かったのではつまらないので、安心して走れる舗装林道的な道の続く
横谷トンネル経由で安曇川に出、そこから国道161号を北上した。
 メタセコイア並木の途中に公営の農業公園施設があり、その中のレストランが目的地。まだ11時半なのに朽木でランチバイキングモードに切り替わったお腹は、もう充分に1500円の元がとれるほどに空いていた。
 いやあ、3人ともよく食べた。あとから入ってきた家族連れが食事を終えて出ていっても、まだ野菜の天ぷらでご飯を食べる人あり。デザートとコーヒーもしっかりおかわりをしたところで、さんざんしゃべったのに“この先どうする”会議がまだだったことに気がついた。
 とりあえず表に出て、地図を見な
旧マキノ町の街道筋。並べて停めて、リアの車高の違いに驚いた。ショックユニット長は私のほう(真ん中)が31mm長い。
がら会議をして、何となく“東に向かって北陸道か名神高速のICで見送り”と決まり、海津大崎〜奥琵琶湖パークウェイ経由で木之本まで行って、その先はまた木之本で相談することにした。出発まぎわに「鯖寿司を土産にしようかな…」と Hollyさん。で、この近くに1軒、鯖寿司を売る料理屋があったのを思い出し、まずはその店を覗いてみた。
 が、どうやら、作った鯖寿司は全部、近所の道の駅の売店に納品したとのことで、ここでは買えず。教えてもらった道の駅“マキノ逢坂峠”
に寄り、無事にお土産を手に入れたところで、ようやく XJ900同士の交換試乗が始まった。海津で国道を離れれば、桜の名所・大崎を回って奥琵琶湖パークウェイの入り口・菅浦
まで、湖岸に沿った快走路である。
 8万kmを超えてもなお、極めてスムーズに回るSTDのXJ900エンジンを味わいながら、やはりこれは、20日のダイアリーに書いた、元々ポンピングロスの低減にしっかり取り組んだ効果ではないかと感じた。
 湖畔の道は、地形に忠実に、いったん南下したあと北上し、再び南下する。そして、スロットルワークだけで気持ちよく駆け抜けられるそれまでのコーナーとは異なり、しっかりブレーキをかけ、シフトダウンしなければうまく曲がれないコーナー
に入ったところで、ブラインドの陰に、いきなり停車車両があった。
 3人とも余裕を持って安全に停止したのに、背後で嫌な音が…。振り返ると Hollyさんが立ちゴケしてい

長浜のTEAM TWENTY ONEにて、電球交換をしてもらったHollyさん(左)と、同ショップ広報担当の方との記念撮影。
た。しかし、それよりも心配な光景があたりに広がっていた。対向車線の真ん中にライダーが転がり、口から血を出している。その脇で、もう1人がが彼に話しかけている。
 前方に停まっているクルマと接触したのか自損なのかはともかく、緊急事態である。ここに停まっていたのでは、後続車がわれわれを避けようとして対向車線にはみ出し、転が
っている彼を轢いてしまうかもしれない。見たところ命に別状はなさそうなので、二次事故防止が優先だ。
 バイクから降りた私は前のクルマのドライバーに、前方の直線区間まで移動するように指示し、3人がかりで自分のマシンを起こし、直線部分の路肩に、縦に並べて駐車した。
 そこから先は、元ロードレースライダーで、今は損保関係の仕事をしている箱付きさんと、転倒の絶えないライダーのメカニックを歴任し、自分でも2回救急車のお世話になった私が、各所への連絡と現場の指揮
/負傷者の看護と現場の整理を、打ち合わせなく自然に分担した。
 負傷したNクンの出血は、前歯が折れたのが原因とわかり、一安心。だが油断は禁物だ。私は、まずNクンに「寒くない?」と聞いて返事を確認し、続いて脇にいた友人のIクンに「ショック症状出るかもしれん

ように路上に転がって救急車を待つ間、手を触ってもらったり(私の場合は止血のためだったが)人の話し声を聞いたりして、とても安心したのを思い出したからだ。
 やがて救急車が到着し、Nクンの処置を隊員に任せた私は、バイク以外の彼の荷物と装具一式をまとめ、救急車に積み込んだ。これも自分の経験上、救急隊員はそこまでやってくれないと知っていたからだ。
 Nクンの状態を見て、Iクンは同乗しなくてもいいが、病院には行ったほうが良いと思ったので「Nクンのバイクのことはボクらがちゃんとするから、あんたは自分のバイクで病院に行ったげ」とIクンに告げ、救急車とIクンの出発を見送った。
 さ〜て、Nクンのバイクの引き上げをどこに頼もうか…と考えていたら、 箱付きさんが「長浜のTWENTY-ONEって言ってましたよ」と、 しっかりNクンの行きつけのバイク屋さんの名前を聞いていてくれた。が、電話番号はわからなかったので、Nクンのバイクを安全な路肩の空き地に停め、ハンドルロックとU字ロックをかけ、キーを持ったわれわれ3人は、 次の目的地を 長浜の“TEAM
TWENTY ONE”
に決めて、一方通行の奥琵琶湖パークウェイを駆け抜け、琵琶湖畔のツーリングを再開した。

 Hollyさんはここで、 走行中に気がついたテールランプの玉切れを修理。コーヒーをごちそうになったうえ、なぜか電球代はタダ。だからというわけではなく、みなさん気さくな、なぜか私にとっては懐かしい感じのするオートバイ屋さんらしいオ
ートバイ屋さんだった。最後は広報担当の方と楽しくおしゃべりをし、記念写真を撮りあって別れた。
 ここでの“この先どうする”会議では、とりあえずどこかでお茶した後、 彦根ICまでHollyさんをお送りする…としか決まらず、先導の私の独断で、彦根の“たねや”クラブハリエのスイーツでも…と思ったのに、残念ながら門が閉まっており、仕方なく彦根IC前のコンビニへ。
 まだ午後5時なのにまったく暑くなく、爽快な夏のおかげで、外でのおしゃべりが心地よい。まるでヨーロッパの夏のようだ。どうせなら日本もサマータイムを導入して、この時期この時間帯の余暇を拡大してもらいたいものである。
 ひとしきり話し終えた後、 Hollyさんは彦根ICから名神に乗り、残る2人は通い慣れた 国道306〜307号で家路についた。 2人の若手ライダーや TEAM TWENTY ONE さんと 知り合え、仲間の輪が広がった、楽しくすがすがしいツーリングだった。
から、目を離さず、何でもいいからゆ〜っくり話しかけてあげて」と頼んで、 Hollyさんや箱付きさんらとともに、ガードレールの下に潜り込んだマシンを引き起こした。
 その後、救急車が来るまでの間、私は、Nクンの脇にしゃがみ、彼の手を握りながら、Iクンとおしゃべりをしていた。27年前、自分が同じ

 出発するまでまったく忘れていた立ちゴケによる自分のマシンの損傷は、クラッチレバーの先端が少々曲がっただけで、走行には支障なし。半逆光の美しい湖面を右手に見ながら、8月とは思えない爽やかな空気の中を気持ちよく走り TEAM TWENTY
ONEに到着。 事情を説明し、引き上げのクルマを出してもらった。

私の大好物、ハーゲンダッツの季節限定“ソルベ・フランボワーズ。噂どおり、外で食べる味わいは格別だった。今季7個目。


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