XJ900の爽快チューン
2009年11月17〜20日 - RACERS 02“ケニー・ロバーツが駆ったYZR500”取材ツアー
     
1983、84の2年連続でデイトナ200に出場し、2連勝を飾ったOW69。スクエア4のOW60をもとに排気量を拡大したマシンだ。
とめることになった。
 初日のインタビューは、そんなわけで、もはや隠す必要のない古い時代の話を、質問者・回答者ともに懐かしみながら、和気あいあいとした雰囲気で進行した。中には“そんなこと書いていいんですか?”と、こちらが自主規制したくなるようなエピソードも多数教えていただき、とても内容の濃い取材ができた。
 2日目と3日目は、CP1階の倉庫に特設スタジオを組み、2階の展示車両から選んだ4台のマシンの撮影である。そのうち3台のYZR500については、私は過去に2回撮影と観察をしているので、今回は主にYZR700と呼ばれるデイトナ専用車(OW69)を観察しながら、カウルの脱着や車両の出し入れなどを担当した。
 これらのマシンのメンテナンスをされているのが、現役メカ時代(TZ
250のころ)に お世話になったCさんだったので、話がはずみ、30年近く前のレーサーを、当時の姿を保ったまま、今なお安全に走れるように手入れをするうえでの苦労談や注意事項などを聞かせていただいた。
 最終日は、タイラレーシングにおじゃまして、平さんに、ケニーと彼のマシンについてのお話をうかがった。一部はQ&Aに取り込み、残りは別ページにまとめる予定である。
 ともあれ、3泊4日の取材は、みなさんのご好意とご協力を得て無事に終わった。この取材を通じて、開発に関わられていた方々のRACERS第2号に対する期待の大きさを感じとった私は、かつてないプレッシャーを感じながらも、その期待に応えようと、気持ちを新たにした。
 RACERSの創刊号“フレディ・スペンサーが駆った'83NS500”は、予想以上に好調な売れ行きで、予定どおり、12月24日の発売に合わせて第2号を作ることが決まった。タイトルは“ケニー・ロバーツが駆った歴代YZR500”である。
 2つの理由により、私はこの本に第1号以上に深く関わることになった。理由のひとつは、Iを介した孫受けではなく、子受けというか直受けになったこと。これにより、企画の案出、取材のアポとり、資料の整理など、原稿を書く以外の仕事も大量にすることになった。
 もうひとつの理由は、取材の相手が、現役メカニック時代にお世話になったヤマハのレース部門の方々だ
ったから…というものである。これにより、取材や撮影がスムーズに運んだのはもちろん、通常のインタビ

編集長経由で広報室に回し、OKが出た相手への公式取材の調整はKが、NGおよび“おまかせ”が出た相手への取材の段取りは私が進めた。
 こうして、11月17〜20の4日にわたる取材ツアーの日程が決まった。初日はヤマハCP(コミュニケーションプラザ)での技術者の方々へのインタビュー、2日目と3日目がCPで展示車両の撮影、4日目がタイラレ
ーシングにおじゃまして平さんへのインタビューという段取りだ。
 Kには最初から、初日のインタビ
ューを、よくある座談会形式にまとめる気はなかった。単機種・単年度だった第1号とは異なり、今回は6シーズン以上に走った多くの機種が対象だから、時系列を追ってだらだらとやったのでは聞くほうも話すほうも大変だし、それをまとめて誌面に展開するのはもっと大変だ。仮に
ューでは聞き出せない“きわどい”
質問にも答えてもらえるのではないかと、期待は高まった。
 第2号のGOサインが出て最初にしたのは、年表の作成とインタビュー候補の絞り込みだった。年表のほうは、最後の最後で原稿を書くときに自分が参考にするためだ。インタビ
ュー候補のほうは、私の叩き台をK
それができたとしても、冗長なだけで中身の濃い企画にはなりにくい。
 そこでKが考えたのがQ&A方式である。あらかじめQをまとめて先方に送っておき、取材当日はそれをもとにお話をうかがい、後日、送っていただいた回答書と合わせ、さらに追加のQとA、そして自問自答に近いものも含めて 100のQ&Aにま
このマシンだけのシート取りつけボルトのワイアリングは、撮影後、私が施した。このままCPに展示されているはず。役得だ。


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