XJ900の爽快チューン
2010年8月19〜20日 - RACERS取材部隊、川重明石〜プロショップKIYOへ   
     
極めて保存状態の良い1979年型のKR250。タンデムツインエンジンの幅狭さを生かしたコンパクトな車体は今なお新鮮。
保存車両が集められた工場内の一室に仮設スタジオを組んでの撮影。レーサー以外の一般車両も良好な状態で保存中。
最終型1982モデルのKR500。燃料タンク一体のモノコックではなくなり、内部をプレスバックボーンタイプのフレームが通る。
 京都〜兵庫は近いもん…と思っていたK編集長に、ウチから明石ってのは、首都圏に例えると千葉の柏から神奈川の小田原に行くようなもの
…と話して納得してもらい、19〜20日の取材はクルマ+泊まりにした。
 19日は撮影の続きで、この日は保存車両の中からKR250とKR500を選んで外装パーツあり/なしの外観四面
+細部を撮った後、 2007年型ZX-RRのカットエンジンを仮設スタジオに搬入し、45度ずつ回転させつつカメラの高さを変え、大量に撮影した。
 KR250は、 ワークス活動停止後も世界GPを走っており、福田照男のメカをしていた1984年にL.レジアーニのマシンを観察した覚えがある。
 一方のKR500は、 全日本にほとんど出てこなかったこともあり、これまで実車を見るチャンスがなく、今回が初対面。にもかかわらず、なんだかちっともワクワクしないのだ。
 それは、実は17日のX-09のときにも感じていたことである。 1台のマシンとして成功したか失敗したかではない。失敗作の中にも非常に興味

 そんなことを考えながら、翌20日の午前中、 主にX-09とZX-RRの開発に携わったスタッフの方々にインタビューをした。 予定の3時間の大半をX-09に費やしてしまい、 ZX-RRに関する質問は途中までしかできなか
ったのは、むしろ良かったかもしれない。…というのは、このあと、当初の予定になかった前期型車体(19日に撮影したバックボーンフレームではなくモノコック)の KR500を撮影できることになり、それを入れると、次号では ZX-RRまで含めた全時代を扱うスペースがないからだ。
 おそらくZX-RRは、 次号では軽く紹介する程度に留め、いずれやることになる(と思う)カワサキZレーサーズ(仮題)あたりまで、詳しい記事はお預け…になりそうである。
 川重明石工場での取材を終えたわれわれ4名の次の目的地は、 神戸市兵庫区の“プロショップKIYO”。レ
ースファンあるいはカワサキファンなら泣く子も黙る往年の名ライダー清原明彦さんのお店である。
 ここでのインタビューには、X-09

 お二人の話を聞いて、私が(…というより、 われわれ4人が)ぼんやり感じていた KR500やX-09(あるいはカワサキのロードレース自体)に対する疑問はほとんど解消した。
 あとは、このインタビューをまとめる編集のMクンと、次号の最後の締め本文を書くK編集長のお手並み拝見である(笑)。私はただ淡々と、見たまま聞いたままをマシンギャラリーのページに書くだけだ。個々のメカニズムには、クローズアップ撮影したり突っ込んで取材した物があり、見ごたえは充分あるはずだ。
 キヨさんところで極個人的に嬉しかったのは、メカ〜レース取材者時代を通じて仲よくしてもらったワダちゃん(なぜかお互いに「おっちゃん」と呼び合っていた)が今なお川重でバリバリ仕事をされているのがわかったこと(当時は、このひと、いつクビになってもおかしくない…と思っていた)と、お店のスタッフの方に当HPをご覧いただいているのがわかったことである。重ね重ね、ありがとうございました。
深いマシンはある。 KR500やX-09という失敗作に興味を持てないのは、これでライバルに勝つんだ…チャンピオンを獲るんだ…というレーシングマシンにあるべき意気込みが伝わ
ってこないうえに、これらのチャレンジと失敗が、その後のレース活動(またはマシン造り)に生かされていないからではないだろうか。
のデビューシーズンに開発とレース参戦を担当した多田喜代一選手にも同席いただき、 清原さんにはKR250での世界GP出場や KR500の開発〜テストの裏話、多田さんにはX-09でのテスト〜参戦のエピソードをメインに、当時のカワサキのロードレース全般にわたって、他では決して聞けない貴重なお話をうかがった。急遽泊まりにした私だけ、楽天で4000円だった舞子ビラの海側ツインという贅沢を味わった。お一人様だったのは残念(笑)。


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