XJ900の爽快チューン
2011年5月24日 - RACERS 09発売。観客20万人時代の8耐に思いを馳せる   
     
1985年の8耐のハイライトといえば、このシーン。ヤマハの4ストレーサー黎明期のマシンと闘いぶりが、この1冊で明らかに。
を共にした20万人超、そして、鈴鹿には足を運べなかったけれど、あのころバイクやレースに夢中だった世代にとって、懐かしい母校の同窓会便りのようなものかもしれない。
 ケニー・ロバーツがインタビューの最後のほうで語っている“もう一度きっちり仕切り直し…”は、実は8耐だけでなく、ロードレースにも限らず、オートバイの世界全体に必要なのではないだろうか。
 8耐といえば、1978〜82年の5年間観戦の後、83年にメカニック、85年に観戦、88〜95年の8年間取材、
96・97の2年間は速報ウェブサイトの制作、そして99年にはホンダの関連会社でプロモーションの一端に関わった(その後2000年には再びメカニック)経験を持つ私にとっても、やはり特別なイベントである。
 それなのに、ここ10年ほどの間、すっかりご無沙汰している。8耐がらみの私の仕事がなくなっただけでなく、そもそも8耐を採り上げないオートバイ雑誌も多い。
 そんな状況の中、RACERSは本号で85年のドラマの主人公だったOW74にスポットを当て、7月発売の次号ではホンダの4ストV4マシンを特集する。またしてもオヤジたちをレジに直行させる本になるだろう。
 そのオヤジたちに、バイク仲間といっしょに、あるいは子連れで、たまにはレースを観にサーキットに足を運んでもらうためにはどうすればいいか…。業界の末席に名を連ねる者として、同業者とともに考えてみる必要がありそうだ。
 製紙工場の震災の影響により、当初の予定より1カ月遅れて発売にな
ったRACERS第9号。この号の主人公は FZ750ベースのレーサーであり、残念ながら XJ750R(XJ750改のTT・F1マシン=OU28)ではない。
 なので、XJ750Rの詳細写真と解説を期待した一部XJ愛好家の方のご期待には沿えなかったかもしれない。まあ、そこんところは、仮設スタジオでの公式撮影終了後に盗撮した写真を3月28〜30日のダイアリーに載せたので、ご勘弁いただきたい。
 この号のハイライトは、何といっても、1985年の8耐でFZ750改FZR750
(OW74)+ケニー・ロバーツ+平忠彦が見せてくれた、8耐史上有数のドラマチックなレースである。
 あの日、鈴鹿に押し寄せた観客の

数は、消防法上の問題から控えめに公表された数字をはるかに上まわる20万超と言われており、実は私もその一員だった。どこからどう手を回したか、パドックパスを手に入れ、主にピットの屋上で観戦していたような、かすかな記憶が残っている。
 このRACERS第9号は、たぶん、よく売れるはず。ふだんは立ち読みして書架に返しているのに、この号は表紙を見ただけでレジに直行した人が、知り合いの中に何人もいる。
 編集長に確認したところ、刷り部数を増やしたとのこと。創刊号や2号のような入手難(これらは、のちに増刷)の心配はなさそうなので、多くの方にお読みいただきたい。
 ひょっとするとこの号は、26年前の7月28日、灼熱の鈴鹿であの感動


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