『吉村誠也のTOOL BOX』 オートメカニック・96年3月号

「バーコというスウェーデン製のモ
ンキーレンチがいいらしいぞ……」
知り合いの、この一言がきっかけだ
った。それまでホームセンターや資
材店でしか工具を買ったことがなか
った私の、工具専門店通いが始まっ
た。行き先は大阪の日本橋。そのと
きに発見したのが大谷商店である。
 初めて行った大谷商店で、何を買
ったかはもう覚えていない。が、店
の広さからは考えられないような品
揃えの良さと、店主の商品知識の豊
富さは驚きだった。『これが本物の
工具ショップだ』と思った。   
 以後、どんな工具を買うにも、私
は日本橋まで足を延ばした。コンビ
ネーションレンチ1本でも、1種類
しか置いてない店で買うよりも、何
種類もある中から選べるのは魅力だ
し、店主・大谷さんの話を聞けるの
も楽しみだった。        
 いつだったか、深い穴の奥にある
オートバイのキャブレター用のドラ
イバーを買いに行ったときのこと。
先端の平らな部分が軸の直径以上に
張り出した通常のドライバーは、穴
の内壁に干渉して使えないから、私
が買おうと考えていたのは、いわゆ
るセットスクリュー用ドライバーと
呼ばれる、軸径以上に張り出しのな
いものだった。         
 ところが、実物のジェットを大谷

商店に持参し、各メーカーのセット
スクリュー用ドライバーを当ててみ
たが、適当な先端サイズのものはな
かった。仕方がない、ちょっと幅の
狭いもので我慢するか……と考えた
とき、「これやったらいけるんちゃ
うか?」と、大谷さんが特殊なナッ
トドライバーを出してきてくれた。
自転車などによく使われている、−
ネジの頭にメネジを切ったような形
のナット用のドライバーだった。 
 ジェットの真ん中には穴が開いて
いるから、ドライバーの真ん中に穴
が開いていても問題にならないとい
うわけだ。私はびっくりすると同時
に感心した。−の溝が切ってあるか
らといって−ドライバーしか考えな
かった私とは違い、大谷さんは、ど
んな形の物をどうしたいかを考えて
いたのだ。さすが工具のプロだ。 
 この一件以来、私は、どんな工具
が必要かではなく、こんな物をこう
したい……というふうに、できるだ
け工具の相手方の実物を持って大谷
商店を訪ねるようになった。   
 二面幅13mmという細さで、しかも
シリンダーヘッドの奥深くにあるス
パークプラグ用のレンチ。非常に薄
く、径の大きな、クッションユニッ
トのスプリングの調整に使われてい
るスロッテッドナット用のレンチ。
二面幅32mmで、中央に大きな突起の

あるフロントフォーク上端のボルト
を脱着するためのディープソケット
レンチなど、大谷さんが探し出して
くれた工具は多い。       
 お店でお客さんとの応対を見てい
ても、「こんな工具がほしいんだけ
ど……」という客に対して、大谷さ
んは、まず「どこに使わはるの?」
あるいは「何に使わはるの?」と質
問している。それがわからなければ
工具など選べないというわけだ。 
 メーカーや品番を指定して買いに
くる客に対しても、やはり同じ質問
をし、客が指定したのよりも良い商
品があれば、遠慮なく「こっちのほ
うがええ」とか「あれはやめとき」
と言う。相当な自信がないと、なか
なか言えるものではない。それをさ
らりと言ってしまうあたりが大谷さ
んのすごさなのである。     
 某二輪専門誌で偉そうなことを書
いているが、私が薦める工具には、
大谷さんに選んでもらったものがい
っぱいある。そして、どれもが、使
いやすく、長持ちしている。   
 お客さんに本当に必要としている
工具を買ってもらい、自分が自信を
持てる工具を売る。これこそ、プロ
のためのプロの店・大谷商店の商売
のやりかたなのである。     
                
                


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