『吉村誠也のTOOL BOX』 オートメカニック・96年2月号

 ヨーロッパでTVを見ていると、
ハンドツールのセットや園芸用品、
ハウスキーピングの道具や材料など
のコマーシャルをよく見かける。確
かに、それらのCFに登場する商品
は、安価であることが第一条件で、
その道のプロの厳しい要求を満たす
ものではないが、そういったCFが
流れるというのは、プロでない一般
消費者の中に、それだけ大きな需要
があるということだ。      
 ホームセンターの工具売り場を覗
くと、ハンドツールの品ぞろえこそ
日本のそれとあまり変わらないもの
の、ドリルやグラインダーなどの電
動工具はもちろん、小型の旋盤やフ
ライス盤、溶接機などが置いてある
のに驚かされる。バルブリフターや
タコ棒といったかなり専門的な工具
を置いている店も少なくない。  
 こうした道具を使うには、もちろ
ん、それなりの知識が必要なのは言
うまでもないが、それよりも、そう
した道具を使って何かをしたり、何
かができるようになるために必要な
時間的余裕、さらには、そういった
ことを自分でしようという気になる
精神的余裕などを、多くの人々が持

っているということに注意を払う必
要がある。           
 壊れた物を自分で直したり、自分
が使う物を自分でメンテナンスした
からといって、必ずしも買い替えた
り人にメンテナンスを頼んだりした
場合よりも安上がりとは限らない。
むしろ、金銭的には高くつくことも
稀ではない。それでも、クルマの修
理、庭の手入れ、壁の塗り替えなど
を人々が自分の手でするのは、それ
らの行為が、彼らの余暇の過ごしか
たのひとつとして根づいているから
に他ならない。         
 先ほど『それなりの知識が必要』
と書いたが、書店に行くと、『それ
なり』どころか、プロ顔負けの専門
的な内容の『入門書』のたぐいが数
多く並んでいる。冬の長い夜にそれ
らの本を読み、夏の長い夕方に自分
の手で何かをする……。これこそヨ
ーロピアンウェイ・オブ・ライフの
ひとつの典型なのである。    
 彼らと話していると、よく、『今
年の夏は、どこそこに1ヶ月も旅行
したから、クルマの買い替えはしば
らくお預けだ。だから大切に乗らな
くちゃ』とか『昨日はいい天気だっ

たから、息子といっしょに家の壁を
塗り替えたんだ』などという話を聞
く。そんな話をしているときの彼ら
は、実にうれしそうで、そういった
ことを楽しんでいることがわかる。
 忙しい日本人の場合、何でもかん
でも人に任せ、対価を支払うことで
楽をするのが普通だったが、余暇時
間の拡大とともに、人に任せていた
作業を自分でする機会が増えるので
はないだろうか。        
 趣味という語感とはちょっと違っ
た、大人の余暇の過ごしかたのひと
つとして、クルマいじりや庭の手入
れ、家の補修などを『自分でする』
ということを、もっともっと多くの
人が経験してほしい。『何を持って
いるか』ではなく、『何をどうする
か』に、『どこに行くか』ではなく
『どこで何をするか』に価値を見出
すのが、ヨーロッパ的なゆとりある
生活への第一歩だという気がする。
 文明開化の時代から高度経済成長
時代を経て、経済面に限って世界の
先進国の仲間入りをしたニッポンに
とって、バブルがはじけた今こそ、
本当の文明開化のチャンスなのでは
ないだろうか。         


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