最終戦のカタルニアで 今年は誰と握手するのだろう
(ライディングスポーツ 95年12月号)

                          
 この原稿を書いてすぐ、ボクはスペインに向かう。もち
ろん、世界選手権ロードレースの今シーズン最終戦・ヨー
ロッパGPの取材のためだ。             
 最終戦…。この言葉を見聞きするたびに、今まで経験し
たいくつもの興奮が脳裏によみがえる。        
 劇的な逆転優勝で原田がタイトルを獲得した93年のスペ
イン・ハラマサーキットでのFIMGP。いつ壊れるかわ
からないマシンをいたわるように走りきったレイニーの、
3位表彰台上での満面の笑みが忘れられない92年の南アフ
リカGP。ランキングトップにいながらシフトリンクが折
れてリタイアし、男泣きに泣いたカルダスと、優勝で初タ
イトルを決めたコシンスキーの明暗が際立った90年のオー
ストラリアGP…。                 
 最終戦は、いつだって、他とは違った緊迫感に包まれ、
それでいて暖かく、人間臭いドラマに満ちている。   
 コースサイドでカメラを構えていた93年のハラマでは、
毎周、目の前をトップグループが通過するや否やポイント
計算をし、ほとんどわからないスペイン語の場内アナウン
スに、いらいらしながら聞き耳をたてていた。     
 終盤なってタイトルを争っていたカピロッシがコースア
ウトし、原田が鬼気迫る走りで前を行く2人を追撃し始め
てからは、もう、居ても立ってもいられない気分だった。
手はじっとりと汗ばみ、喉はカラカラ。最終ラップを撮り
終えたボクが一瞬ちゅうちょした隙に、あの冷静な本誌G
P担当・石田二郎カメラマンの怒声が飛んできた。「何や
ってんだ! 表彰台へ走れ! オレはウィニングランを撮
るから、間に合わないかもしれない。短いレンズは持って
んだな? よし、早く行け!」            
 ボクは全速力でコントロールタワー屋上の表彰台のとこ
ろへ駆けつけた。下を見下ろすと、ピットロードに戻って
きた原田が、今まさにメカニックに抱きかかえられ、チー
ムクルーにもみくちゃにされる瞬間だった。      
 年に何度か『ああ、この世界に浸ってて良かった!』と
思うことがある。93年は、原田選手のおかげで、例年にな
く多くの『良い目』に会えた。そして、自分が初めて居合
わせた日本人チャンピオン誕生の瞬間は、やはり、どんな
写真よりも鮮明に、どんなデータよりも詳細に、その場の
空気の質感や観衆のどよめきとともに、ボクの心に刻み込
まれている。                    
 これほど興奮した最終戦は他にないが、最もうれしかっ
た最終戦は、実は87年の全日本なのだ。        
 最終戦…。春先の開幕戦から、長いシーズンをいっしょ
に闘った者だけが共有できる充実感、そしてシーズン最後
のレースを好成績で締めくくろうとする気迫、移籍や引退
のうわさにまつわる寂寥感。これらが渾然一体となった独
特の雰囲気を、最終戦は持っている。         
 忘れもしない、11月8日の筑波サーキットでのことだ。
決勝が終わり、車両保管が解除されたマシンに跨り、惰性
で坂を下りて1コーナー下のトンネルを抜け、表のガレー
ジのところに出てきたボクは「ありがとう。おかげで今年
は最終戦まで走ることができました。全戦走れたシーズン
なんてノービス以来だなぁ…」と声をかけられた。声の主
は奥村 裕。この日のレースを4位で終えた彼はランキン
グ4位を確定していた。               
「そういえば、そうだったよな…。シーズン完走おめでと
う。まあとにかく、注文の多いライダーのおかげで、こん
なに忙しいシーズンはなかったけど、オレ、そういうの、
好きだからなぁ…。楽しかったよ。ありがとう」そう言っ
て奥村と握手をしたボクは『ああ、何て充実したシーズン
だったんだろう。メカニックをしててほんとに良かった』
と、1年間連れ添ったマシンに跨ったまま、こみあげる喜
びをかみしめていた。                
 そんな体験をしているからか、取材する側に回ってから
も、最終戦に限らず、世界GPに限らず、優勝したり好結
果を得て喜んでいるシーンを目撃すると、ついライダーよ
りも先にメカニックに声をかけたり握手を求めたりしてし
まう。そんなときのボクは「おめでとう」とか「良かった
ね」とか「お疲れさま」としか言わないけれど、心の中で
は『うらやましいな』と思っている。         
 今年のボクは、チェコ、ブラジル、アルゼンチンの3連
戦を欠席したから、カタルニアに行ったら真っ先に、カダ
ローラのメカのスティーブと、ノリックのメカのハワード
と、徳留んところのチーフのルーカスに「おめでとう」を
言おう。何たって、この3人と伊藤のメカのトレバーは、
その昔、深夜のパドックで、油まみれの手でビールを酌み
交わした仲だからなぁ…。うーむ。考えただけで、やっぱ
り、ヤツらはちょっとうらやましいぞ。        
                          


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