XJ900の爽快チューン
2012年10月22日 - 2012年第4回ダンロップツーリングステーション@瀬の本高原(復路)
     
 荒尾の旧友というのは、30年ほど前、彼が京都で造園業者に務めていたころに知り合った、私の古いバイク仲間だ。最近ライダーにリターンした“なかじぃ”さんともいっしょにツーリングに行ったことがある。
 九州出身の彼は、今から25年ほど前に、家業を手伝うべく故郷の福岡に帰ったのだが、紆余曲折の末、荒尾の自転車屋さんを引き継ぎ、現在とは異なる屋号で商売を始めた。
 凝り性ゆえ、めきめきと整備の腕を伸ばした彼は、ヤマハの整備士コンテスト九州地区大会で3回連続1位を獲得したうえ、地区代表として臨んだ全国大会で2位(1位とは僅差だったそうだ)に入った経験を持つ(整備士国家二級も当然)など、同じメカでも、ふんだらめんちゃらぱ〜ぷ〜元レースメカとは対極的な(笑)、信頼感あふれる高潔の士だ。
 その彼、つまり荒尾の“サイクルハウス”の店主、角(すみ)さんと気が合うのは、同い歳であり、バイクや工具に対する好みが似ていて、さらに2人とも2女の父親という家族構成の影響もあるかもしれない。
 昨夜は彼がホテルまでクルマで迎えに来てくれ、サイクルハウスのとなりの焼き鳥屋に入ったのだった。電話と宅配便でのやりとりはしょっ

ちゅうしているが、会ったのはひょ
っとすると25年ぶりかもしれない。積もる話は山ほどあり、焼き鳥屋でキリンラガーの大瓶を5本空けた程度では、とうてい足りない(笑)。
 もう1軒行くのかな…という期待は、角さんが「増永のサイクルハウスから亀の井ホテルまで」と、タクシーを呼んでくれたので敵わず、話の続きは今日に持ち越した。となりが自宅で、おなかはいっぱい、ええ心持ちで酔っぱらっていれば“はよ帰って寝よ”と思うのは当然か。
 ところが、ホテルに着いた私のほうには、思いがけない事件が発生。ポケットに入れていたはずのルームキーが見当たらず、部屋に入れないのだ(笑)。私が、たいていどこのホテルにもある“外出時はフロントにキーをお預けください”の注意書を無視して持ち歩くのには、それなりの立派な理由がある。キーホルダーにはたいていホテルの名前が書いてあるから、外出中にホテルの名前を忘れてしまっても、キーホルダーを頼りに帰ってこれるからだ(笑)。
 探すにしても探さないにしても、とりあえず部屋に入れないと話にならないので、コンシェルジェのお姉さんに合鍵で開けてもらった。出かけるときポケットに入れたのは確か

なので、部屋にあるわけはないのだが、念のため部屋中を探しもした。もちろん、あるわけがない(笑)。
 続いて角さんに電話。一番怪しいのは彼のクルマの中、次が焼き鳥屋なので、この2箇所を探してもらうが見つからず。さ〜て困った(笑)。
 だが、キーがなくて困るのは、外に出るときだけだ。出なければ困らない。幸い、昨夜はもう、外に出る用はなかったので、キーのことは、ひとまず忘れ、PCでメールチェック
&情報収集の後、寝ることにした。
 そして今朝、何気なくデスクに置いてある案内書を読んでいると“部屋のキーを紛失された場合は、実費(15,750円)いただきます”てなことが書いてある。値切って半額にな
ったとしても、アホくさい(笑)。
 もう一度よ〜く昨夜のことを思い出すと、怪しいのはやはり角さんのクルマの中だ。こうなりゃ自分で探しに行くしかない…と、入浴&朝食の後、バイクで角さんところに行こうと決めた。そして、ドアの隙間にストッパー(ゴムのクサビ)をかませてオートロックが効かないようにし、フロントには「近所まで出かけます」と告げてXJ900に跨がった。
 お店の前に着くと、すでにシャッターは開き、角さんは仕事を始めて
荒尾市増永の“サイクルハウス”の店構え。XJ900が停まっている側道は、その昔、炭鉱の引き込み線が通っていた跡らしい。近所の商店の兄ちゃんによる記念写真。25年前と比べて、それぞれ外観は変化しているが(笑)、“気安さ”は変わらない。
いた。「悪いけど、もっぺんクルマの中見せて」と、ガレージに案内してもらい、助手席のドアを開けてすぐ、シートの下に手を突っ込むと、わ〜い! あった〜! 15,750円得した〜! というわけで、急いでホテルに戻って荷作りをし、チェックアウトして再びサイクルハウスへ。
 ふ〜む、これが角さんの仕事場なのか…。ふむふむ、これが工具にウルサい彼の工具箱なのだな…。ほほう、しっかり地域のお客さんに愛されるお店になってるなあ…と、感心しながら店内(主に整備室)のようすと彼の仕事ぶりを観察する。
 その間にも彼は、自転車でやってきたお客さんのパンク修理、別のお客さんの自転車のチェーン調整、整備済みのトゥデイ(原付)を引き取りに来た高校生への引き渡し、パーツが届いたイントルーダー250の セルモーター交換と補充電済みバッテリーの装着、ジョグのドライブトレイン点検などをてきぱきとこなす。
 残念なのは、スポーツバイクのお客さんが少ないこと。これはもったいない。ここをお読みの九州のみなさんには、確かな技術、信頼できる整備とはどんなものか、ぜひ一度、サイクルハウスで体験されることをおすすめしたい。整備の腕と人柄の

よさは折り紙つき。困ったときは最後まで面倒を見てくれるはずだ。
          ●
 すっかり忘れていたが、雨に濡れずに家まで帰るためには、ここを昼ごろには出なければ…。昨夜、キー騒動が一段落した後、PCを開いて天気予報をチェックしたり、九州〜四国間のフェリーの時刻や乗り場までの道を調べたりした結果、今夜から雨になるのは確実で、当初予定していた四国経由は断念。京阪神までフェリーに乗るのも、明朝、フェリーを降りてから雨の中を走るのは嫌なので、高速自走に決めたのだ。
 時刻はすでに12時。積もる話は半分にもならず、まだまだずっとしゃべっていたい気持ちをぐっとこらえて、最も近い南関ICまでの道を教えてもらい、12時すぎにサイクルハウスをあとにし、帰宅の途についた。
 南関ICから九州道に入ったのは12時半。1年1カ月ぶりの上道長距離走行。 一人で走るのは2008年8月の関東遠征の復路以来かもしれない。とにかく久しぶりなので、最初のうちはペース設定に悩み、いろんな速度(回転数)で走って、心地よくクルージングできるあたりを探る。その結果 5000rpmのときが最もエンジンがスムーズに回るとわかり、最初

のサービスエリアに入るまで、ほぼ5000rpmキープで走り続けた。
 最初に入ったのは広川SA。前回の給油以後、 まだ267kmしか走っていないが、とりあえずここで満タンにする。11.20L入ったので、ここまでの燃費は23.84km/L。5000〜6000rpmを多用する走りが多かったわりにはかなりの好燃費である。メインジェットを絞った効果に違いない。
 それなら…と、ここで思い出したのが、このところずっとサボっていた“燃費チャレンジ”である。自己基準では、満タン(これにも基準あり)にしたあと、できる限り80km/h一定に保って、 最低でも100km、できれば200km以上走り続け、 再び満タンにすることになっている。
 しばらくサボっていたのは、辛く退屈な走りをするために、そうでなくても嫌いな高速道路に、わざわざ乗る気がしなかったからだ。だから今日は、めったにない“燃費チャレンジ”のチャンスなのである。
 そうと決まれば迷いはない。広川ICから九州道を、関門橋を渡ってからは中国道を美東SAまで、 197kmにわたり、本線車道上では一度もシフト操作をせず、前を見ているよりもスピードメーターを見ている時間のほうが長いのではないかと思うほど
いくつもある工具箱のうち、これがメイン。要る物しか持たない(要る物は揃える)主義で、特注/自作工具もたくさんあった。
上に載ったチェストのフタの裏には、ソケット用ハンドルが所狭しと並ぶ。工具評論家(笑)の私でも初見の物が何点かあった。
整備室の奥にあった、再生中のヴェスパと、R80系と思しきBMW。そういえば、彼の京都時代の愛車はR100RSだった。
慎重に80km/hを維持して走る。
 197kmで休憩したのは、 給油ではなく眠気覚ましのため。2時間半も休まず同じ姿勢で(しかも一定の遅い速度で)走り続けていると、あまりの刺激のなさに、次第に意識が朦朧として、寝てるんだか起きてるんだかわからない危険な状態になる。
 美東SAに入ったのは15時半ごろ。ここは気に入った。二輪専用パーキングが、他みたいに隅に押しやられず、メインの建屋の正面にあるからだ。ドアロックをかければ一応安全な四輪とは異なり、二輪の場合は荷物を積んだまま、人によってはヘルメットを放置したまま車両を離れることが多いから、これは嬉しい。
 マシンを停めてしばらくぼ〜っとしていると、近くで私のバイクを観察していた2人組の男に声をかけられた。一人は観光バスの運転手で、もう一人はその乗客だった。いかにもツーリング中のライダーと交わしそうな“どこに行ってきた/どこに向かっている”といった受け応えに始まり、やがて“何年式ですか/走行距離はどれくらい/燃費は…”と質問攻めに(笑)。運ちゃんの質問には、ライダー同士の会話でなければ出てこないようなテクニカルタームが混じるので、 聞けばXJR1200に乗

っているとのこと。あ〜、やっぱりなあ…と喜び&納得した(笑)。
 やがて休憩のお客さんが続々と戻
ってきたので、彼らもバスに乗り込み、どこかへ出発していった。で、やっと一人になった私は、建物内に入ってフードコートを偵察する。何を食べようか…と、迷う間もなく、壁に貼ってある“ふぐ唐揚げ定食”
の文字が目に入り、それに決定。
 刺し身や一夜干ではなく、唐揚げ
ってのは初めてだ。どんな姿、どんな味なのだろう…と、期待半分、不安半分で待つこと数分。おばちゃんに番号を呼ばれて取りに行ったトレイに載っていたそれは、まさに“ふぐ”の形。淡白だが旨味があり、独特の歯ごたえもフグそのもの。これはええもんにありついたぞ…と嬉しくなり、食後に売店で一夜干を買った。出先で土産を買うなど、私には非常に珍しいことである(笑)。
 サービスエリアの出口にあったガソリンスタンドは、入れたくないブランドだったのでパスして本線に入り、なおも“燃費チャレンジ”を続行。中国道と別れて山陽道に進み、調子に乗って次のサービスエリアは通過。 トリップカウンターが250を超えたところで下松SAに入った。
 広川で給油後、 ここまで257km走

って給油量は8.05Lだから、 期待の燃費は31.92km/Lである。 このバイクの過去の最良値は、2006年10月に記録した30.42km/Lだから、 実に6年ぶり、 キャブを今のBSR37に換装して以来、初の記録更新である。
 だが、なぜか、以前の記録更新時ほど嬉しくない。このキャブで、現状の燃調&点火時期のセッティングなら、もうちょっと…、35は無理にしても33くらいは出てほしい。そういえば、広川からずっと風が強かったこと、アップダウンの多い区間だ
ったこと、前面投影面積の大きなダウンジャケットを着ていたこと、リアブレーキの整備がイマイチで摺動抵抗が大きめだったことなど、燃費チャレンジにふさわしくない条件が多々あった。次回はそのあたりをち
ゃんとして、好条件のもと、まずは33km/Lを目標にリベンジしたい。
 さて、これで燃費チャレンジも終わり、あとは一路、第二阪奈の宝来めざして突き進むだけである。携帯で雨雲レーダー画像を見ると、西から迫ってくる雨雲の先端は、すでに山口県にかかろうかというところまで来ている。これはヤバい。急がなければ…。下松を出た私は、それまでよりもうんとペースを上げ、クラ
ッチが滑りださない限り、ときおり
九州道もそろそろ終わりに近づくと、標識には“広島”の文字が出てくるようになる。このあたりの道は異様に空いていた。
美東SAのフードコートで食べた“ふぐ唐揚げ定食”。これはとても気に入った。値段は、確か700円か800円だったと思う。
30数年ぶりに渡った関門橋。追い越し時以外は走行車線。3車線区間では左端…と、これは安全運転の第一歩である。
7000rpmを超えるのも許容した。
 とはいえ、どんなに急いでいても左側からの追い越しはしない。理由を突き詰めると“美しくないから”
という個人的なこだわりかもしれない。しかし、ここは譲れない。山陽道に入ってから目立って増えた“追い越しが済んでも走行車線に戻らないバカヤロー”のせいで、追いつくたびに巡航速度ががっくり落ちる。
 それでも、急いでいないときは、相手が左車線に退くまで、1kmでも2kmでも延々と後ろに従う。今日みたいに急いでいるときは、まず、お下品とは思いつつ(笑)、パッシングをし、ダメならハイビーム。ホーンや右の指示器の併用もあり。当然、車線の右端あたりを走行し、こちらの意思表示が相手に伝わりやすくもしている(笑)。それでもダメな場合は最後の手段。緩い左カーブなどで前車の進路がわずかに左に寄ったのを見はからい、右側を通過して前に出る…である。すり抜けざまに左手を横に出して中指を突き立てたり、前に出た直後に左足で後ろ蹴りのポ
ーズをとることも、いつもとは言わぬが、しょっちゅうある(笑)。
 当然、そうやって前車を追い越したあと、走行車線に空きがあれば必ず戻る。これも常に厳守している。

 どこかの雑誌にも書いたように、こういった最低限のマナーも守れぬ大バカ野郎を見たくないのと、そいつらに対して上記のような反応をするのが嫌…というのが、このところ下道ばかり走る理由のひとつだ。
 もうひとつ、今回久しぶりに上を走って感じたのは、方向指示器さえ出せば譲って(前に入れて)もらえるという勘違い野郎の多さだ。そり
ゃあ温厚な私のことだから(笑)、追い越し車線が混んでいて“ここで入れてやらなきゃ、なかなか入れないな…”といった状況では気持ちよく譲ってやるが“オレ1台やりすごせば、後ろは空いてるから、いつでもどうぞ…”という状況では、決して速度は落とさない。そもそも、2台の自動車(道交法用語)の関係において“対等”というのはほとんどなく、さまざまな状況における優劣がこと細かに法文化されているのだから、それに従うのが当然である。
 譲り合いというのは本来、優劣が不明確な場合の最後の解決手段であるはずで、最初からそれに期待してもらっては困る(笑)。譲ってもらえるだろう…と期待している運転者に対し“そうじゃないヤツもいる”ということを教えてあげるのは、運転者としての責務と考える(笑)。

 こんなふうに、ちょっとアツくな
ったりしながら(笑)、広島市をすぎて再び山間部へ。古くはC52やD52、新しいところではEF59、最近はJR貨物の新鋭機EF210(300番台)などの後補機つき列車が見られた瀬野〜八本松(通称セノハチ)に近い山あいを走っていると、突然“この先通行止”の電光掲示が…。まずは速度を落とし、周囲の状況に目を配りながらゆっくり走っていると、小谷SAというのが見つかり、そこに入った。
 どうやら、走れるのは2つ先の本郷ICまでで、本郷〜三原久井間が事故で通行止めらしい。事故の程度や復旧の見通しなど、詳しいことは何もわからない。ここで待っていてもラチがあかないので、行けるところまで行って、強行突破できればしめたもの(笑)。できなくても、現場直前まで行けば、少なくとも状況や見通しはわかるだろうから、ここで待ちぼうけよりはずっといい。
 のろのろと、まわりのクルマについて、河内ICをすぎ、本郷ICに近づいてきたところで“本郷で出よ”の電光掲示。そこからすぐに走行車線の渋滞が始まったので、追い越し車線をゆっくり走っていると、本郷出口の分岐のところで、 NEXCO(笑)の文字の入ったヘルメットをかぶった
SAで休憩中。月曜だったからか、天気が怪しかったからか、本州に入ってからのは、1台もバイクの姿を見かけなかった。
小谷SAの道路情報掲示板に示された現在地と通行止めの箇所。下り車線の渋滞は、事故見物によるものだろう(笑)。
本郷で山陽道を出るときにもらった乗継証明書。準備のよさには感心するが、遅延割り引き制度も導入するべきであろう。
屈強そうなガードマンが2人、通せんぼをしていた。彼らと、その背後にあるバリケードを見て強行突破はあきらめて停車。手招きをしてガードマンを呼び、状況を聞いてみる。
 はっきり物を言わんその態度、気に入らんぞ〜と思いつつ(笑)、待ってるほうが早いか、ここで降りて次まで下道を迂回したほうが早いかを聞いてみると「降りたほうが間違いなく早いでしょう」と明確な返事。まあ、聞かれたらそう答えるのが仕事なのだろうが、そうもきっぱり言われると、従わざるをえない。
 本郷の料金所で、南関からここまで6700円の通行料を払い、領収書といっしょに“高速道路通行止め乗継証明書”というチケットをもらう。これを提示すれば、次の三原久井から乗ってどこかで降りるとき、三原久井からそこまでの料金ではなく、南関からそこまでの料金と今払った6700円の差額を払えばいいという、合理的なシステムではある。
 本郷から先は、前車に続いて国道2号に出、[←山陽道]の標識が出るまでそのまま2号を走る。こんなに走って大丈夫なのか…と、心配になりかけたところで、ようやく標識を見つけ、それに従って三原バイパスに入り、[←三原久井]の標識を

見つけて県道に降りた。そこから山陽道までの道は、ほんとにこの先にインターがあるのか…と心配になる狭く険しい山道で、入り口に着いたときは、まるで全行程を走りおえたかのようにどっと力が抜けた。が、ここはまだ広島県。先は長い。
 ところが不思議なもので、広島/岡山の県境をすぎると、なんだかもう“帰ってきました〜”みたいな気分になった。広島と岡山では、過去に来た回数が全然違い、岡山ってのは兵庫のすぐ先…てな感覚があるからだろう。好物の“きびだんご”を買いたくて吉備SAに入るも、箱入りしかなく、搭載困難につき断念。次に入ったのは三木SA。ちょっと腹が減ってきたので、ここで軽く、宝塚ホテルベーカリーのパン&ドーナッツとコーヒーで虫やしない。
 ここもまた、入れたくないブランドのスタンドだったので、トラックの運ちゃんふうのオッサンに声をかけ、近畿道に入るまでにガソリンスタンドがあるか、それは何道の何SAかを聞いて、それなら大丈夫…と、安心して中国道と合流した先の西宮名塩まで無給油で行くことにした。
 三木を出たあたりから、南関からずっと吹いていた強風がますます強まり、三木ジャンクションをすぎる

と路面がウェットに。やべえ! こうなったのも、あの通行止めのせいや…と、あくまで人のせいにして先を急ぐ(笑)。今は降っていないが、路面の状態からして、すでにかなりの量の雨が降ったような感じだ。
 そしてついに、西宮名塩まで数kmというところで、パラパラっときてしまった。急にドッシャーっと来ないことを念じつつその数kmを走りきり、西宮名塩SAに入って給油。下松から408kmで16.33L。24.98km/Lである。走り方を考えると、南関〜下松の31.92km/Lよりも喜ぶべき値だ。
 西宮名塩から先も、路面状態は変わらず。さっきまで激しく降っていて、今は止んでいるが、いつまた降りだすかわからない…といった雰囲気の中を、中国道〜近畿道〜阪神高速東大阪線〜第二阪奈道路…と乗り継いで終点の宝来で上道を降り、走り慣れた24号を自宅に向かった。
 南関〜宝来間694.4km。 前後の下道を合わせると 800km近い半日ツーリングだった。クラッチ滑り以外、連続高速走行をしても絶好調なのが確認できたのはよかったが、 XJ900はともかく私には、やはり下道をのんびり気ままに走るほうが性に合っているということを痛感した今回の九州からの復路だった。


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