バイカーズステーション 2000年9月号

基本的な整備とファインチューニングには自信があった
しかし、GPが私に与えてくれたのは
マシーンチューニングの方法やそれに取り組む心構え
大切なマシーンを長持ちさせるためのGP流掃除方法など
日本とは違った、過酷なGPならではの経験だった。

【時間が許す限り整備、チューニング、そして掃除をするのがGP流】


TZマニュアルの制作と渡欧準備
 福田照男との渡欧、世界GP転戦が決まった私は、マニュアルの制作を始めた。仮想読
者は、もし福田からの誘いがなければ、84シーズンに面倒を見てやろうと思っていた2人
のライダー。しかし、作るからには多くの人に読んでもらいたいと考え、9月の日本GP
が終わってすぐに執筆を開始した。
 83年一年間でわかったのは、メカニックとしての知識を身につけ、腕を磨くに当たって、
自分の環境は非常に恵まれていたということだ。私の場合は、カスノモーターサイクルに
出入りしていたおかげで、オートバイいじりの基本からレーシングマシーンの整備に至る
まで、多くの人に親切に教えてもらうことができたのだが、そうじゃないライダーやメカ
ニックがたくさんいるということにも気がついた。書き進むにつれて、私は、そうした恵
まれない環境でレースを続けている多くのライダーやメカニックに読んでほしいと思うよ
うになった。
 コンピューターもプリンターも、ワープロさえ持っていなかった頃だから、文章もイラ
ストもすべて手書き。薄い色で方眼の入ったコピー用原稿用紙に書いた。自分が菱田氏に
教わった整備の基本に始まり、機械要素(ねじ類、ワッシャ、クリップ、オイルシール、
ベアリングなど)の取り扱い、工具の使い方、そしてTZのエンジン、車体、電装の整備
方法、さらに81〜83モデルの互換性のわかるパーツリストとサービスデータなども盛り込
んだ。
 こうしてTZマニュアルは11月上旬に完成した。全ページをコピーし、A4版のファイ
ルに綴じた初版50部のうち、2部は、最初に書いた2人のライダーにプレゼントし、残り
は1部3,500円で年内に完売した。
 福田と渡欧することが決まって、私は急に忙しくなった。翌年型TZ250の発表・試乗
会に同行したり、納車間もないTZ250の整備、慣らし、チューニング、そして船便での
発送の準備など、しなければならないことは山ほどあった。
 ヤマハコースで行われたTZの発表試乗会に持参したTZマニュアルがライディングス
ポーツ誌の編集部員の目にとまり、同社が委託販売してくれることになったのもこの頃だ。
今バイカーズステーションに原稿を書いているのも、この頃のライディングスポーツ誌の
編集部員を通じて、業界に知り合いができたからだ。しかし、私がメカニックの現役を引
退して専業ライターになるのは、まだまだ先の話である。
 メカニック稼業が忙しくなってきて、私はほとんどオートバイに乗るチャンスがなかっ
た。三浦のマシーンから回収した自分のGX500のブレーキ周り改造パーツは、ほとんど
そのまま福田の2台のTZ250とともに箱詰めし、ヨーロッパに送った。船積みは2月。
工具箱もいっしょに送らなければならなかったので、あわてていろんな工具を補充した。
 ハゼットのトルクレンチ用アタッチメント、同じくハゼットの六角棒ソケットレンチ、
各種のオイルストーンなどである。どうしても必要なものだけ日本で買って発送し、残り
は現地で買おう。ヨーロッパに行けば、日本にいるよりヨーロッパ製工具の入手は容易な
はず。そう考えてヨーロッパに向かったのだが……。

当時のオランダの工具事情
 福田チームの本拠地はオランダ中央部のアムスフートという町の近く。古くは片山敬済、
浅見貞男、後に高田孝滋ら多くの日本人ライダーが世話になったアライヘルメットヨーロ
ッパ社長、フェリー・ブラワーの紹介で、元サイドカーモトクロス世界チャンピオンのト
ン・ファン・ヘフテンのワークショップを間借りしていたのだ。トンは、当時まだ現役ラ
イダーであり、彼が経営する中古車屋のワークショップが、サイドカーモトクロス用の整
備室も兼ねていた。
 トンのメカニックは2人。どちらも中古車屋で働きながら、トンのメカニックをしてい
た。そのうちの一人、ジェリーと呼ばれていたイギリス人は、かつてヤマハヨーロッパの
メカニックをし、片山敬済の3気筒350ccマシーン(並列2気筒のTZ250に1気筒を追加
したような構造)を作った経験を持つ、メカニックというよりはコンストラクター的な存
在だった。トンのマシーンも、ジェリーが造ったものだった。
 トンのエンジンは、84年はハスクバーナの500cc単気筒だったが、それ以前は長くヤマ
ハのXS650を使っていたらしい。ワークショップの片隅には、ボアアップ、ストローク
アップ、同爆化など、さまざまなチューニングを施したXS650のエンジンが転がってい
た。XS650のエンジンを使った競技用マシーンといえば、アメリカでケニー・ロバーツ
らが走らせたダートトラックレーサーが有名だが、ヨーロッパにもこうしたマシーンが存
在したのである。しかもそれが世界選手権でチャンピオンを獲得していたというのは驚き
だった。日本のロードレースなどというのは、オートバイ競技のほんの一部でしかなく、
まだまだ私の知らない世界がいっぱいあるのだと思い知らされた。
 オランダに着いて最初の仕事は、ロッテルダム港からの荷物の引き取りと開梱、2台の
TZ250の整備とパーツの整理、トランスポーターとキャンパー(トレーラー)の整備、
ワークショップ内の整理などだった。それらの作業に必要な資材や道具を買いに、トンや
ジェリーに教えてもらった資材屋によく行った。ホームセンターのようなところにも行き、
その広さと品揃えの豊富さに驚かされた。だが、日本にあるような、いろんなメーカーの
工具を取り揃えた工具専門店というのは見つからなかった。
 ホームセンターみたいな店には、日本で見かけたこともないような日本製や台湾製など
の工具があった。それらはたいてい、箱に入ったボックスレンチ+ラチェットハンドルの
セットだったり、数本のスパナをクランプで束ねたセットだったりした。もちろんヨーロ
ッパ製の工具もあったが、それもほとんど私の知らないブランドのものだった。ファコム、
スタビレー、ハゼット、ベルツァー、ベータなど、日本で有名なヨーロッパ製工具は、そ
れぞれの代理店と思しき資材屋が在庫し、看板を掲げるでもなく、店頭に並べるでもなく
販売していた。
 トンのワークショップで目立っていたのはゲドーレだ。ハゼットの普及品といった雰囲
気を持つ、ドイツのメーカーの製品だった。日本ではほとんど知られていないが、充実し
たラインアップを誇る総合工具メーカーらしかった。トンやジェリーに聞くと、ハゼット
は値段が高いので、これ(ゲドーレ)のほうが気に入っているとのことだった。
 日本を出る前にハゼットやベルツァーのカタログを眺め、ヨーロッパに行ったらあれも
これも買おう……と思っていた私はガッカリした。結局、3月末から10月中旬までの在欧
中に私が買った工具は、オランダの資材屋で買った十数本のハゼットのコンビネーション
レンチ、ケルン(ドイツ)の資材屋で買った4本のベルツァーのロングタイプの六角棒ソ
ケットレンチ、オランダのホームセンターで買ったM4〜M8までのタップ&ダイスのセ
ットだけだった。

GP250ccクラスのチューニング
 84年は、市販レーサーでGP250ccクラスのチャンピオンを獲れた最後のシーズンだっ
た。カワサキがワークス活動を中止し、ホンダがワークスマシーンを投入するまでの間、
このクラスはプライベーターとコンストラクターの天国だった。
 ヤマハの市販レーサー・TZ(ピストンバルブ・並列ツイン)、この年デビューしたホ
ンダの市販レーサー・RS(ピストンリードバルブ・90°Vツイン)、ロータックスの汎
用タンデムツインエンジン(ロータリーディスクバルブ・2気筒同爆)を使ったリアル、
コバス、EMCなどさまざまなコンストラクター製のマシーン、ワークス活動中止後プラ
イベーターの手に渡ったカワサキのワークスマシーン・KR(ロータリーディスクバルブ・
タンデムツイン)、フランスの酒造会社がプロジェクトをスポンサードしていたぺルノー
(ロータリーディスクバルブ・並列ツイン)など、出場マシンは多彩を極めた。
 こういった状況で少しでも上位を狙うためには、細かなセッティングよりも、とにかく
ライバルに並び、しのぐためのチューニングアップがものを言った。過半数を占めるTZ
250で流行していたのは、マービックのホイールを用いた前後の16インチ化、HH(開発
者、オーストリア人ハンス・ヒュンメルのイニシャル)シリンダー、オランダに住む日本
人、トミーマスモトが造った排気チャンバー、ブレンボの4ポットキャリパー(鋳造ボデ
ィー、同径ピストン)などだった。
 これらの中で、とくにHHシリンダーは、TZでロータックスエンジン搭載車に立ち向
かうために欠かすことのできないパーツだった。立場上、社外品を使うわけにはいかない
カルロス・ラバードを除けば、チームロバーツのウェイン・レイニーとアラン・カーター、
フランスヤマハのクリスチャン・サロンらを筆頭に、ヤマハとの関係が深いチームからプ
ライベーターに至るまで、まるでこっちがスタンダードパーツかと思えるほど、HHシリ
ンダーのユーザーは多かった。
 福田チームも例外ではなかった。最初、ヤマハから買ったGP用キットパーツ(ノーマ
ルシリンダーにはない補助排気ポートを持つシリンダーと、YPVSをノーマルの遠心ガバナ
ーを用いた機械式からサーボモーターを用いた電気式駆動に変更するパーツで構成)を使
ってみたが、どうやってもセッティングが出ず、次にノーマルのシリンダーを使ったがそ
れもダメで、途中からHHの中古品を使い始めたのである。
 とにかく、レースごとに新しいことをしなければ取り残される。実際のタイムや成績に
結びつくかどうかはともかく、常にマシンに何か手を加えていないと安心できない……そ
んなシーズンだった。パドックのテント(ピットにガレージを持つサーキットは少なく、
500ccクラスのワークスチームでさえテントで整備するのが当たり前だった)からは毎晩
のようにシリンダーを削る音が聞こえ、HHを超えるべく、ドイツの名チューナー、ハラ
ルド・バートルの設計したシリンダーをテストしたり(チームロバーツ)、ラム圧過給方
式を採用したり(シュバリエ・ヤマハ)、レクトロンのフラットバルブキャブレターを使
ったり(ドイツ人ライダー、現カワサキワールドスーパーバイクチームマネージャー、ハ
ラルド・エックル)、HHに特注したシリンダーにYPVSを装着したり(フランスヤマハ)、
夏場の熱ダレ対策としてフロントカウル内にサブラジエターを追加する(福田チーム他)
といったパワーアップ競争に明け暮れていた。
 車体周りについてもエンジンと同様、いろんなチームがさまざまなチューニングを試み
ていた。リアキャリパーのフローティングマウント(制動力自体は低下するが、突っ込み
時の路面追従性が高まることで車体が安定し、素早い倒し込みが可能)、フロントフォー
クの左右アウターチューブを連結するスタビライザーの装着、フォークスプリングの2段
化と1段目スプリングのたわみ量規制、フロントフォークのエア加圧、ブレンボから市販
化されたフローティングディスクの採用などがその一例だ。
 このように、マシーン的にはプライベーターの智恵比べみたいな状況だった84年のGP
250ccクラスを経験できた私は、メカニックを志した当初にカスノモーターサイクルを知
ったのに次いで、またしてもラッキーだったと言わねばならない。全日本では10年かかっ
ても得られないような知識と経験を与えてくれたワールドGPと、そこに私を連れ出して
くれた福田照男のおかげである。

GP流マシーン掃除術
 マシーンのチューニングだけでなく、日常の整備についても、GPで学んだことは多い。
最初に驚かされたのは、どのチーム、走行ごとに、とにかく徹底してマシーンを掃除して
いたことだ。
 走行が終わり、テントに運び込まれたマシーンは、整備台の上に載せられ、まず、フュ
ーエルタンク、カウリング、前後のホイールが外され、次いでエンジンが降ろされる。エ
ンジンを降ろすのは、そうしないとミッションの交換ができないのだが、それが降ろす理
由ではない。クランクケースを開ける必要がなくても、ただエンジンとフレームを掃除す
るためだけに降ろしているのだ。そうして、フレームの下に受け皿を置き、ガソリンを浸
した刷毛で、フレームの汚れを落としていくのである。ホイールは、タイヤを外せば必ず
石けん水で丸洗い。カウリングの内側やフューエルタンクの裏側も、走行が終われば必ず
汚れを拭き取っていた。
 ヨーロッパの連中も、ナショナルレースレベルでは全然そんなことをしていないので、
これはGP流マシーン整備の特徴といえる。やはりそれだけGPはマシーンにとって過酷
だった。パーツの入手が容易ではなかった。サーキットに到着すればレースが終わるまで
の間、マシーンをいじる以外にすることがなかった。などなど、理由はいろいろあったに
違いないが、汚いマシーンはメカニックの恥……といった、良き伝統が息づいていたのも
確かである。
 カウリングやフューエルタンクなどの塗装面は、黄ばんだりタッチアップの跡が見えた
りしているが、それらを外した中身は、冗談抜きで新車よりも美しいマシーンがたくさん
あった。とくにドイツ人ライダー、アントン・マンクやマーチン・ウィマーのマシーンの
潔癖さは、どこを触っても手は汚れず、逆に手あかでマシーンが汚れるほどに徹底してい
た。とにかく、彼らのメカニックは、暇さえあればパーツを外し、洗ったり拭いたりして
いた。
 こうして、わずか1シーズンのGP体験ではあったが、技術的にも精神的にも大きく鍛
えられた私は、2台のマシーンとパーツをはじめ、メカニック2人ぶんの工具一式を日本
に向けて船積みした後、10月中旬に帰国した。もちろん、次の年もGPでメカニックをし
たい気持ちはあったし、誘ってくれたライダーもいたのだが、条件が折り合わず、85シー
ズンの私は日本に留まることになった。
 そして初めて、カスノモーターサイクルの社長でありフライングドルフィンレーシング
チームのボスでもあった糟野氏本人のメカニックをすることになった。

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