仕事の内容ついて話したり書いたりするのは好き。でも、一言で言ったり書いたりするのは嫌い、というか困難です。で、どうしても一言で表わさなきゃいけない場合は“文筆家”で通しています。このタイトルは自分で考えたのではなく、10年近く前に税務署がつけてくれたものです。…とはいっても、ある日ウチに送られてきた“所得税の確定申告書”というヤツの職業欄に“文筆家”とタイプされていたというだけのことですが。

ただ、表立って“文筆家”と言ったり書いたりすることはほとんどありません。昔使っていた名刺のタイトルは“Journalist”でしたし、今は“Website Constructor”です。カタカナ職業への憧れ…なんてのは、とっくの昔に捨てていますが、自分の仕事を表わす言葉としては“文筆家”や“ホームページ制作業”よりも“ジャーナリスト”や“ウェブサイト・コンストラクター”のほうがわかりやすいような気がするからです。

文章を書いているのは、主にオートバイ関係の雑誌。2003年3月現在、連載しているのは3誌で、“バイカーズステーション”と“ロードライダー”という、どちらもオートバイ関係の月刊誌と、“オートメンテナンス”というクルマいじりの隔月誌。連載記事は3誌とも工具関係の話ですが、連載以外では、メカニズム解説やレーシングマシンの解説記事などを、いろんな雑誌に書いています。

これらの雑誌に執筆するようになったのは、もちろん、自分がオートバイ好きだからですが、きっかけは、ジャーナリストになる前の職業にありました。レーシングメカニック、つまり、レース用のオートバイのメンテナンス、チューニング、セッティングなどをする仕事です。趣味でやっていた期間を含め約10年間、私はレーシングメカニックとして、いろんなチームとともにレースの世界に浸っていました。

そして、レース関係雑誌の編集者に誘われて原稿を書くようになり、2〜3年間はメカニックをしながら執筆を続け、1987シーズン限りでメカニックを辞めてからはジャーナリスト専業となりました。このようなわけで、最初の頃はオートバイ雑誌といってもレース関係の専門誌だけにしか書いていなかったのですが、やがてレース関係以外のオートバイ雑誌にも執筆するようになり、メカニズム解説、技術者インタビュー、工具やメンテナンスに関する話を中心に執筆を続けています。

メカニックを辞めた次の年(1988年)から約10年間は、取材する側にまわってレースを追いかけ、世界選手権ロードレースGP(FIM Road Racing World Championship Grand Prix)を中心に多くのレースの取材に出かけました。とくに1990年から1996年にかけては、年間8〜10戦の海外レースを取材しながら、原稿執筆だけでなく、写真撮影やページ編集など、雑誌作りのいろんな現場を体験しました。

しかし、1996年頃からは、印刷物だけでなくウェブページにもメディアとしての魅力を感じるようになり、このサイト(europark.com)を作った経験を生かし、ホームページの制作やウェブサイトの運営も仕事にするようになりました。

ウェブ関係の仕事が忙しくなってきたこと、そして執筆していたレース関係雑誌編集会社の事情により、1997シーズン限りでレース関係誌の仕事を辞めた私は、上記の“バイカーズステーション”や“ロードライダー”をメインに、レース以外のオートバイ関係雑誌の仕事を続け、現在に至ります。

最近の執筆誌は、こちらから

Europarkで公開中の原稿

ライディング・スポーツ誌のコラム
1995年7月〜1997年1月
オートメカニック誌のコラム
1995年1月〜1996年3月

バイカーズ・ステーション誌のコラム(一部)
2000年6月〜11月(自分自身について書いた部分のみ)
恥ずかしくも懐かしい処女作(投稿)
1980年頃に書き、1987年頃に採用されたツーリング物語




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