ルクセンブルク大公国の首都・ルクセンブルクは 
南北80km、東西50kmほどの大きさしかない 
同国の南端部に位置している。 
(国の面積は神奈川県よりやや大きい程度) 
メッツからオートルートで入り、ブリュッセル方面に進むと 
わずか30kmほどで通りすぎてしまう小さな国だ。 
 
フランス/ルクセンブルク国境も 
ルクセンブルク/ベルギー国境も 
それらしき税関の建物と 
気を付けているとわかる標識はあるが 
ほとんどのクルマは徐行もせずに通過していく。 
 
ベルギーに入ってしばらく走ると景色が変わる。 
ルクセンブルクに多かった牧草地がなくなり 
森の中を進むようになる 
地形はけっこう複雑で 
オートルートは地面の起伏に沿って 
日本では考えられないような 
急なアップダウンを繰り返す。 
 
  
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ルクセンブルクを越えると 
すぐにベルギーに入る。 
ベルギーの高速[A4]を 
ブリュッセル方面に約100km行くと 
ウェリンの街にさしかかる。 
あたりはなだらかな高原だが 
谷はかなり深いため 
カーブが少ないわりに 
急で長いアップダウンは多い。 
ウェリンからは 
ベルギー最古の城跡を残す 
ブイヨンも近い。 
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急な坂道は、長いところでは数kmに達する。 
道の脇には、速度超過に注意するとともに 
牽引しているキャラバンが外れて 
暴走しないように注意を促す標識がある。 
 
ルクセンブルクとブリュッセルの 
ちょうど中間あたりにWellinの出口がある。 
そこを出てちょっと西に行ったところに 
Gedinneという村がある。 
毎年8月に、レース好きの村長が 
村の公道を閉鎖してレースを開催しているため 
84年にはメカニックとして参戦し 
91年には家族連れで観戦に来た。 
 
小さな村の公道レースとはいえ 
格式はインターナショナルだから 
外国人選手やGPライダーも出場できる。 
84年には福田照男がGPの合間を縫って参戦し 
村長夫人の手縫いの日の丸をメインポールに揚げたのだった。 
 
  
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'84年、GP参戦の合間を縫って 
ゲディーンのレースに 
エントリーした福田照男は 
エトランジュ250クラスと 
250レーサークラスで優勝。 
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地元の少年たちも 
GPライダーに負けじと 
愛車を駆って参戦する。 
レース界を取り巻く懐の深さでは 
ヨーロッパにかなうところはない。 
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それ以来、近くを通る機会をみつけては 
何度かゲディーンに来ている。 
レースのときはスタート&フィニッシュラインとなる 
ベルギー国鉄のローカル線のゲディーン駅前に 
ボクがヨーロッパで一番気に入っているペンションがあるからだ。 
90年の夏に寄ったとき「娘は大きくなったかい?」と聞かれ 
「そうだな…、来年は連れて来れるんじゃないかな」と答えたのが 
91年夏の家族連れヨーロッパ旅行のきっかけだった。 
 
  
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'91年に訪ねたときも 
当然ながら公道レースだったが 
駅前を通らないコースに 
変更されていた。 
この年は日本の堀良成が参戦し 
250クラスで優勝した。 
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16歳以下、50cc以下の 
地元の少年たちのレースも健在。 
両親、兄弟、友人らが 
ピットクルーをするなんてのは 
ここでは当たり前。 
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昔からの街道筋のペンションらしく 
“屋根裏に泊まることもできるレストラン” 
…って感じで、本業はレストラン。 
シャンピニョンのスープと子牛のステーキと 
デザートのアイスクリームが格別で(量もスゴい!) 
朝食の焼き立てのパンも、他では食べたことがない美味しさ! 
 
…というような話を 
ウチに遊びに来たM嬢にしたことがあって 
「じゃ、今度連れてってください」 
…ってことになったままだったのが 
ドイツGPで再会してデートの約束に変わったのである。 
 
  
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ベルギー国鉄の支線の 
Gedinne駅前に 
ペンションJacobyはある。 
(右側の白い建物が駅舎) 
1日数本しか列車は通らないが 
ナショナルツーリストオフィス推薦の 
レストランだけあって 
夕食時には 
クルマでやってくる客で賑わう。 
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他の田舎のペンションと同じく 
レストランが本業で 
宿屋は副業に近い。 
1人1泊2食付きで約8千円だったが 
約半分が夕食代。 
美味しさとボリュームを考えると 
それでも非常に安い。 
オススメは子牛のステーキと 
シャンピニョンスープ。 
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シャンピニョンスープの味を思い出したボクは 
“帰りに自分一人で寄ってもいいな”と 
そのときはまだ、そんなのんきなことを考えながら 
ブリュッセルへの道を急いでいた。 
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